東京地方裁判所八王子支部 昭和51年(わ)818号 判決 1986年12月19日
会社員
A
会社員
B
会社員
C
会社員
D
会社員
E
僧侶
F
会社員
G
会社員
H
会社員
I
会社員
J
地方公務員
K
高校講師
L
フリー写真家
M
右A、B、C、D、E、F、G及びLに対する監禁・強要、暴力行為等処罰ニ関スル法律違反・住居侵入各被告事件、I、Hに対する暴力行為等処罰ニ関スル法律違反・住居侵入各被告事件、Jに対する監禁・強要、暴力行為等処罰ニ関スル法律違反・住居侵入、傷害被告事件、Kに対する監禁・強要、暴力行為等処罰ニ関スル法律違反・住居侵入、建造物損壊被告事件、Mに対する監禁・強要被告事件について、当裁判所は、検察官板橋育男出席のうえ審理し、次のとおり判決する。
主文
1 被告人A及び同Jをそれぞれ懲役八月に、被告人B、同D及び同Kをそれぞれ懲役六月に
各処する。
右被告人五名に対し、この裁判の確定の日から、一年間、それぞれの刑の執行を猶予する。
2 被告人C及び同Gをそれぞれ罰金七万円に、被告人E、同F、同I及び同Lをそれぞれ罰金五万円に、
被告人H及び同Mをそれぞれ罰金三万円に各処する。
右被告人八名において、その罰金を完納することができないときは、金二〇〇〇円を一日に換算した期間、当該被告人を労役場に留置する。
3 訴訟費用は、別紙(一)(略)の訴訟費用負担明細表記載のとおり、被告人らに対しそれぞれ負担させる。
4 昭和五一年七月五日付け起訴状記載の公訴事実第四の一及び二について、被告人F及び同Hは無罪。
理由
第一教育社事件
(会社の沿革・労働組合結成・労使紛争の概要及び本件に至るまでの経緯)
一 昭和四三年一二月ころ、東京都武蔵野市西久保二丁目七番地に設立された株式会社教育社(代表取締役高森圭介、当初の資本金一〇〇万円・昭和五〇年七月当時の資本金二〇〇〇万円)は、教育に関する研究資料の製作・販売及び各種出版印刷等を営業目的に掲げ、実質的には、高森社長が過去に営んだ学習塾の経験等を生かし、六カ月ぐらい前から四、五名で営業態勢に入っていたトレーニングペーパー(家庭用学習書・以下「トレペ」という)の月刊発行を主眼として、従業員約一〇名ぐらいでスタートしたものであるが、教育ブームを背景に、小学生(国語・算数・理科・社会)、中学生(英語・数学・国語・理科・社会)及び高校生(英語・数学)を対象とする全国的な会員制の宅配・ダイレクトメール販売方式を取り入れたことなどから、業績は急成長を遂げ、トレペ会員六万ないし一〇万名を獲得したほか、右会員の父母らに向けた雑誌「教育ノート」の定期刊行にも手を広げるなどして、昭和四六年当初には、本社従業員約一五六名(正社員九〇名・嘱託六六名)、地方営業所(大阪・名古屋・福岡・青森)従業員約六名(正社員四名・嘱託二名)を擁し、手狭になった本社社屋のほかに、井野ビル・西川ビル・三協マンション(以上・武蔵野市内)及び第一不動産ビル(通称・荻窪ビル)内に事業所等を分散させるまでになっていた。
他面、教育社内においては、従業員らの間に、職場環境・勤務時間(残業を含む)及び待遇などの面を改善して欲しい旨の要望が高まっていたところ、昭和四五年夏のボーナス・一時金問題の不満を契機に労働組合結成の機運が生まれ、正社員の有志らが中心となって準備がすすめられ、昭和四六年一月一八日に従業員約六〇名(正社員五四名・嘱託六名)で教育社労働組合(以下「教育社労組」または「労組」という)を結成し、委員長被告人A、副委員長同B、書記長森彪の三役を選出したうえ、翌一九日に右労組結成の事実を書面で高森社長に通告した。
教育社労組は、結成直後から会社側に、<1>就業時間内における組合活動の承認、<2>本社内への組合事務所の開設(一カ所)、<3>組合専用掲示板(二カ所)の社内設置などについての団交要求を重ね、同年三月一二日ころ本社製版室の一部(約一〇平方メートル)を組合事務所として使用することを認めさせるなどして右<2>・<3>の案件を治め、同年春闘では、<1>組合員に対する一律二万一四〇〇円のベースアップ、<2>嘱託の正社員化、<3>配転・解雇などの人事に関する組合の同意権、<4>土曜半日勤務制の実現の要求項目を掲げ、本社二階編集室で高森社長と組合員・非組合員ら従業員一〇〇名ぐらいとの間のいわゆる公開団交(大衆交渉)が数回開かれたこともあったが、同年五月一八日の第一波ストライキ、同月二五日トレペ編集室の部分ストライキ及び団交決裂を契機とする翌二六日からの無期限ストライキを重ねて、組合員らによるピケ戦術をも展開し、社外での業務続行を図り深夜本社内から印刷物等を搬出しようとした高森社長らとの間でトラブルを生じた後には、組合員らが本社内泊り込み体制をとるなどしたため、労使間の摩擦は深まったが、翌六月四日に至って、右春闘も、<1>ベースアップは正社員一律三〇〇〇円(昇給分のほか)・嘱託一律五〇〇〇円、<2>嘱託問題は本人が希望すれば契約を更新する、<3>人事同意権の問題は今季は棚上げとする、<4>土曜日半休制は六月から八月までは隔週・九月完全実施とする旨の確約書を取り交わして妥結し、春闘における争議関係の責任は双方とも追及しない旨の合意も、事実上の了解事項として付け加えられた。
二 教育社では、かねてより本社社屋の借地明け渡しを求められていたことから、猶予期限までには国鉄三鷹駅南口に新築予定の三菱銀行ビル内に本社の事務・編集部門を移す計画で臨んでいたが、社内事情などからこれを断念し、印刷工場等の建設をすすめていた東京都東村山市恩多町一丁目一二番地三の敷地(約三三〇〇平方メートル)内に本社事務棟(三階建)をも新築することに計画を変更し、トレペ編集室員ら(当時の従業員約五〇名)の意向を容れて、同部門は武蔵野市内の井野ビルに移し、その他の本社各部門を昭和四六年九月一二日ころまでに前記東村山市内へ移転させた(建物の延面積約九九〇平方メートル)。
右の本社移転問題に関連して、労組側は、組合員らが東村山市と武蔵野市に二分されることに対応し、同年八月ころから会社側に組合室を本社内と武蔵野市の事業所(一カ所)内に設けることなどの団交を申し入れ、同月下旬には、組合大会で新たに執行委員に選出されたコンピューター室勤務の組合員に対し同室長から執行委員辞退を促すような圧力が加えられた旨の不当労働行為問題と、同じく執行委員の被告人Fが井野ビルに移ったトレペ編集室で些細なことから某主任に馬鹿呼ばわりされ、手拳で顔面を殴打されたことに反撃したトラブルにつき、会社側が双方を譴責処分にした問題も重なって、同年九月初旬以降には数次にわたる時限ストライキをおり込みながら、右の不当労働行為・不当処分の各問題と前記組合室の設置などの団交要求を続けたが、交渉は進展せず、旧本社内の組合事務所も同社屋の解体撤去にさらされ使用できなくなることから、同月一二日の団交拒否に引き続く午後二時半ころ組合員らが自力で前記東村山市の本社敷地南側(印刷工場の南端西脇)にバラックの組合室(約一三平方メートル)建築を強行し、これを阻止しようとした高森社長とひと悶着を起こし、同月二三日から翌一〇月中旬にかけての団交においても、同社長から本社敷地内の右組合室の撤去の譲歩は得られなかったが、労組側が前記井野ビルのトレペ編集室内に仮に設けた組合室の追認と、「室長の一連の言動が、本人の意図に反し不当労働行為と解釈されてもやむを得ないような結果を招いたことは、遺憾である」旨の高森社長名の謝罪文及び被告人Fに対する譴責処分の白紙撤回を取り付けた。
しかし、会社側は、同年一〇月初旬ころから、労組加入者の多いトレペ編集室の業務が遅滞しているとして、営業企画室が置かれていた荻窪ビルや各学科の編集主任の自宅でアルバイトを入れての編集業務を分散してすすめる旨のいわゆる第二編集室体制の実施にふみ切り、トレペ編集室の組合員らに対し業務命令として手持ちのトレペ原稿など全部の提出を指示し、外部の執筆者に対してもトレペ原稿などを高森社長ほか四名の主任らに届けることを依頼するなどしたほか、東京出版サービスセンターの斡旋で教育社に派遣され校正を担当していた臨時労働者らが、労組のストライキの際に会社側の指示する他の場所での就労を拒み、仕事をしなかったとして、その全員に関する同センターの契約を解除する措置をとった。
労組側は、これらをトレペ編集室所属の組合員らからの仕事の取り上げ及び校正臨時労働者らに対する不当解雇にあたるとして態度を硬化し、荻窪ビルへの数次にわたる抗議行動をかけるなどしたが、さらに会社側から、組合員である数学主任の教育開発研究所への配転及び全国のトレペ会費の未収金(約一億五〇〇〇万円)回収のための督促班への配転協力要請を持ち込まれ、そのころ選出された委員長籔武司ら新執行部の許で開かれた同年一二月初旬の組合大会において、前記の臨時労働者の不当解雇撤回・一方的な配転反対・冬季一時金三・八カ月など六つの要求項目を決め、会社側との交渉に入ったが、「年末一時金〇・五か月」の回答があったのみで一向に進展せず、同月一五日に三鷹婦人会館で行われた公開団交も決裂し、同月一七・一八日の両日には時限ストライキを組み、東村山本社にピケを張って、組合員らが社屋内の一部に座り込むなどし、会社側職制らによる製版・会員業務の関係資料の本社外持ち出しなどの事態も絡んで、同月二一日からは無期限ストライキに入り、夜間には印刷工場・製版室に六名ぐらいの組合員らが泊り込むまでになった。
一方、会社側では、労組のストライキに対応し、東村山本社において、高森社長ほかの職制らが先頭に立って、何回となく非組合員の従業員らを社屋内に入れて就労させようと試み、ときには関連会社の幌付きトラック二台に右従業員らを分乗させて本社屋一階工程管理室窓からの就労を図ったこともあったが、いずれも組合員らのピケなどに阻まれて果たさず、同年一二月二七日午後には、印刷工場と隣接する系列会社の製本工場との搬送通路に座り込みピケを張って退去要請に応じなかった組合員らを、東村山警察署々員らの出動を得てごぼう抜きに排除し、同日の夜間以降には、労働争議をめぐる使用者側の警備担当面でとかく問題を投げかけていたある警備保障会社からガードマンの派遣を受けて本社内に常駐させ、ヘルメット・編上げ長靴などといった警察機動隊員類似の服装で身を固めジュラルミンの盾を手にした者らを含むガードマンらと、本社屋三階の製版室で夜間の泊り込みを続けている組合員らや構内などでピケを張っている組合員らとの間でトラブルが続出し、同月二九日に至り、高森社長名で同日午前九時よりロックアウトする旨の通告を発して、組合員及びストライキ同調者の本社屋・敷地内への立入禁止・構外退去を求める立看板などを掲示し、ガードマンら約二〇名を導入して本社屋及び構内にいた組合員ら全員を強制的に構外へ排除し、翌四七年一月三日には、内容証明郵便で、就業規則違反を理由に、当時の委員長籔武司、同副委員長被告人B、同書記長樫村滋、同執行委員被告人G、同被告人I、同森彪及び前委員長被告人A、前副委員長被告人C、前執行委員被告人F、同秦尚義の一〇名を懲戒解雇に処したが、右各内容証明郵便には就業規則の該当条項が羅列されているのみで、解雇事由の具体的事実の記載は全くなかった。
三 右の解雇通告問題に関し、教育社労組は、三役・執行委員及び解雇通告を受けた組合員らと会社側との間で、同年一月八日の三鷹婦人会館における団交をはじめとして数回にわたる交渉を重ねたが、具体的解雇事由の有無をめぐる意見が対立するなどして解決の糸口さえ掴めず、同年四月ころ労組及び被解雇通告者一〇名が東京都地方労働委員会(以下「都労委」という)に「不当労働行為の救済・バックペイ・ポストノーティス」を求める申立てを行い、以後、昭和五〇年代に至るまでの都労委における多数回の審問などを通じての解明を図る一方、組合員らによる東村山本社及び他の事業所におけるデモ・ピケなどの抗議行動を組織的・継続的に展開し、三多摩地区労働組合協議会の指導を得て昭和四七年三月ころ「教育社支援共闘会議」が結成されてからは、他の組合・団体からの有志・支援者らも教育社労組の抗議行動に加わり、私立工業高校の非常勤講師として自らの解雇撤回闘争を続けていた被告人L(昭和四七年以降)、小金井市の準職員として小学校警備業務を担当し同市職員組合に所属していた被告人K(同四八年以降)、ある出版社の契約カメラマンで同社の労働争議に際し組合の書記格で活動していた被告人M(同四九年三月以降)及び立川自衛隊監視テント村を拠点に反基地・反自衛隊運動を続け、地域の労働運動の支援をしていた被告人J(同五〇年秋以降)らも、順次、その一員となったが、会社側との実質的な団交は、たとえば、労組側からの、被解雇者問題など一一項目についての東村山本社における全組合員及び前記支援共闘会議のメンバーらを交渉人員とする五時間ぐらいの団交要求に対し、会社側から交渉人員・時間及び交渉事項の縮小を条件にされるなどして、開くことができなかった。
また、その間、団交要求を掲げてデモ・ピケ中の教育社労組員・支援者らと、会社側関係者・ガードマンら(昭和四七年一一月施行の警備業法との関連での前記警備保障会社の解散に伴い、その一部の者らが教育社の「警備員」に登用された)とのトラブルが頻発・激化し、労組側が問題としたガードマンらの盾などによる主な傷害事件だけでも、<1>昭和四七年一月一四日の東村山本社前における女性組合員一名の前額部挫傷(加療約一〇日間・被疑者不特定で不起訴)、<2>同四八年七月二二日の同本社構内抗議集会における組合員ら四名(被告人E、同B、同Cほか一名)の右肘部・前額部等打撲・右趾骨折等の各受傷(加療見込み一ないし三週間)、<3>同四九年六月七日の出先機関・武蔵野事務センターにおける被告人Aの左前頭部・左眼瞼部挫傷兼皮下血腫の受傷(入院加療約一週間・同センター所長からの謝罪文受領)などが起こり、会社側も、ガードマンら多数が怪我をしているとし、さらに、組合員・支援者らと東村山本社などに出動した警察官らとの間の、ピケの強制排除などをめぐるトラブルまで併発し、組合員らが、「威力業務妨害・公務執行妨害」の疑いで現行犯逮捕(後日釈放)されるという事態も何回か生じ、労組側は、これを警察力による労働争議への介入として反発を強め、会社側は、昭和四八年夏ころ東村山本社の正門及びその周辺に高さ約三メートルの電動扉(正門)・鋼板塀を構築し、見張り台・テレビカメラを設置するなどして、物的にも組合員らの抗議行動を排除する態勢を固めた。
なお、教育社労組員ら(昭和四七年一月以降の総員・二九名)は、無期限ストライキ・解雇処分により無給の状態が長期間続いたため、約四年有余の間、ビル清掃・建築現場の日雇い・パートタイマーなどに従事し、他の組合・団体からのカンパも含めた全ての収入を、一旦、組合にプールし、組合員・その家族構成などの必要度に応じこれを配分するという仕組みで各自の生活を支えながら、団交要求・抗議活動を続けていた。
四 昭和五一年一月一二日、都労委は労組側・会社側に命令書(同五〇年一二月一六日付け)を交付したが、その主文(要旨)は、
「 一 被申立人教育社は、申立人籔武司ら一〇名を原職もしくは原職相当職に復帰させなければならない。
二 その余の申立ては棄却する。」
というもので、その詳細な認定事実・判断をふまえた理由の結論部分(要旨)は、
「 申立人籔らが本件争議中に行なった各種の行為には多くの行き過ぎが認められるのであるから、会社側のいう幹部責任、個人責任の区別の当否はさておき、一定の懲戒責任を負うべきは当然である。しかし、他方、会社側は申立人組合の活動がとかく行き過ぎにわたるとしてこれを嫌悪してきたものであり、かつ、本件解雇が前記のような性急かつ杜撰な手続でなされていることを併わせ考慮すれば、本件解雇は、もっぱら申立人籔らの行なった各種の行き過ぎた争議行為の責任追及に名をかりて、その中心的活動家であった同人らを企業外に排除することによって、一気に申立組合の崩壊を意図した不当労働行為であるといわざるを得ない。」
「 申立人籔ら一〇名は、その他の申立組合員ら全員とともに現在に至るまで無期限ストライキを続け、会社もまたこれに対し無期限ロックアウトを続けていることを考慮し、申立人籔ら一〇名に対するいわゆるバックペイを命じないことが相当であると思料する。」
「 申立人らはポストノーティスをも求めているが、本件ではその必要を認めない。」
となっていたのに対し、労組側・会社側の双方とも、この命令を不服として中央労働委員会に再審査を申し立てた。
右都労委命令をふまえた労組側は、同月一二日の臨時大会でストライキの解除を決め、高森社長宛に内容証明郵便でストライキの解除を通告し、翌一三日から東村山本社前で組合員ら全員の就労請求を続けたが、会社側はロックアウトを解かず、何らの対応も示さなかったため、同月一九日ころ地位保全・賃金仮払い(被解雇者ら一〇名)・賃金仮払い(非解雇者ら一九名)の各仮処分を申請し、さらに、翌二月二六日からは東村山本社構外の駐車場にテントを張って、組合員・支援者ら一〇ないし三〇名ぐらいの夜間泊り込み態勢を含む就労請求・抗議行動の強化につとめ、会社側も、労組側を相手方とする「会社役員・従業員のための出入り等妨害禁止」の仮処分を申請したり、職制・従業員ら数一〇名を社内に泊り込ませ、その余の従業員らの出社を見合わさせる措置をとるなどして、事態は思わしく進展しなかった。
しかし、同年二月中旬ころから、泥沼化している労使紛争の円満解決を願う会社側中間職制らと労組側有志との非公式な予備折衝が数回行われたのち、翌三月七日午後八時ころから翌八日午前四時ころまで、東村山市内のある喫茶店で、会社側の柳沢制作管理課長、同課の後藤、桜井両係長らと、労組側の委員長被告人A、副委員長被告人B、書記長秋山雁太郎、執行委員被告人Dが、団交開催に向けての徹夜協議を続け、右話合いの中途(午前零時ころ)から同席していた松田(惇)業務推進部長と被告人Aが、それぞれ会社側・労組側を代表する立場で、「団交開催に関する合意事項」の書面(昭和五七年押第七〇号の13)を作成・署名したが、その内容(要旨)は、
「 1 会社は、昭和五一年三月九日中に、都労委命令を尊重する前提で第一回団交を開催することを約束する。
2 場所については原則として本社内とする。但し、会社の都合により公共施設でもよい。
3 人数については、第一回は組合側一〇名、会社側は社長・桜田(総務部長)・松田(惇)の三名と、それに辻(教育部長)・尾上(出版部長)が加わることもある。
4 時間については、第一回は一五〇分以内とし、その後は三日に一回の割合で開催することを原則とする。第二回以降の団交時間は労使双方協議のうえ決定する。」
ほか三項目から成り立っていた。そして、東村山本社における非組合員の従業員らの就業も同日から平常の状態に戻った。
右合意事項に則し、会社側は、高森社長ら四、五名、労組側は委員長被告人Aら一〇名前後の各交渉人員をもって、
第一回・同月九日午後一時半~午後四時・武蔵野福祉会館
第二回・同月一二日午後一時半~午後四時・三鷹婦人会館
第三回・同月一五日午後二時半~午後四時・武蔵野福祉会館
第四回・同月一九日午後二時~午後四時・右同所
第五回・同月二三日午後二時~午後四時・右同所
といった団交が精力的に続けられ、高森社長が、右の第一回団交で解決に向け不退転の決意で臨む等の表明をするなど、前向きの姿勢を示したけれども、都労委命令の受け取り方、とくに、解雇が不当労働行為で無効とされるべきものかをめぐって、両者の見解が完全に対立・平行線をたどり、ひいてはバックペイ・ポストノーティスの問題も絡んで、具体的な解決案さえ出すことができなかった。また、右の団交継続過程で、高森社長が労組側の交渉人員を五名ぐらいにして欲しい旨の意向を示したり、東村山本社前における労組側の集会時に、ガードマンから登用された某警備員が、前記の「団交開催に関する合意事項」の取り決めに反し、二度にわたり社外にとび出して、組合員らに暴力を振るい、被告人Aに毒性スプレーをかけるという問題が重なったとして、団交が多少紛糾したこともあったが、全体的には、密度の濃い、円滑な話合いが保持されていた。しかし、同月二〇日前後ころ中央労働委員会から会社側に前記都労委命令主文第一項の「履行勧告書」(同月八日付け・労働委員会規則五一条の一第一項)が出されたこともあって、前記第五回団交において、会社側は、都労委が棄却したバックペイには絶対に応じられないとしつつも、双方の中央労働委員会への再審査申立の取り下げを前提として、「解雇撤回・被解雇者ら一〇名の原職もしくは原職相当職への復帰」と「解決金名目の支払」で紛争を解決する含みを示し、他方、労組側は、会社側が解雇の不当労働行為責任を率直に認めたうえで、被解雇者ら一〇名の原職もしくは原職相当職への復帰及びバックペイの支払などに応ずべきものと主張し、次回・三月二七日(同日午後一時から開催予定)の第六回団交には双方が具体的な解決案を持ち寄って、話し合いを詰めることになった。
労組側は、第一回ないし第五回の団交開催場所をいずれも会社側が選定・確保したことから、第六回の団交開催場所は労組側で手当することの了解を取り付け、第五回団交の翌日に開かれた執行委員会の討議を経て別紙(二)上段の「争議全面解決についての組合の基本的態度」及び一二項目から成る「解決案」を書面(前同号の6・以下「解決案」という)にまとめたほか、労使の話し合いが次回の団交で具体化し解決の可能性も出てくることを転機とし、右団交の中途(交渉開始後約一時間経過したころ)で全組合員及び支援者らをも交えた公開団交に切り替える方針を決め、組合員らの全体会議での承認を得たうえ、同月二五日に、東京都三鷹労政事務所長から同所講堂(収容可能人員一二〇名)の使用許可を得たが、教育社労組・A名義で同所に提出した「労政会館使用許可申請書」には、「使用目的・会社との争議解決のための団体交渉」「使用日時・同日午後一時から午後九時まで」「使用人員・男八〇名 女二〇名」という趣旨が明記されており、支援の関係組合・団体に右公開団交への動員要請の連絡を済ませたけれども、会社側には、右のような第六回団交の中途から公開団交に切り替える旨の事前通知をしなかった。
(罪となるべき事実)
一 三・二七(三鷹労政事務所)事件について
昭和五一年三月二七日午後一時一五分ころから、東京都三鷹市下連雀九丁目九番二号所在・東京都三鷹労政事務所の管理する講堂において、株式会社教育社代表取締役高森圭介、同社教育部長辻裕久、同出版部長尾上進勇、同企画室長安東健児、同学評企画室長松田昌泰及び同印刷事業部工場長柿沼勝を会社側委員とし、被告人A、同B、同C、同D、同E、同F及び同Gほか二名の教育社労組執行委員を労組側委員として、被解雇者一〇名の解雇撤回・同人ら及び就労できなかった組合員らに対する賃金(バックペイ)の支払などを中心とする労使間の争議解決に関する第六回の団体交渉を開催中、同日午後二時一五分ころ、労組の既定方針どおり、同所中庭付近に集合・待機していた教育社労組員・支援者ら約七〇名を同講堂内に入場させて公開団交に移行しようとした際、会社側委員らが、「みんな全部出して下さい」、「約束違反です」などと抗議し、立ち上がって退席しようとしたことなどから、被告人A、同B、同C、同D、同E、同F、同G、同J、同K、同L及び同Mは、ほか多数の者(氏名等不詳)と共謀のうえ、共同して、席を立ち上がりかけ、ないし、立ち上がった高森社長、尾上部長、松田(昌泰)室長及び柿沼工場長に対し、こもごも、「何が約束違反なんだ」、「ちょっと待てよ、団交を拒否するのかよ」、「座れ」、「座るんだ」などと語気を荒げ、被告人J、同Kを含む七名ぐらいの支援者らにおいて、右高森社長ら四名の背後からそれぞれの腕、肩を抑えて椅子に着席させるなどの暴行を加え、これに引き続き、同日午後一一時すぎころまでの九時間ぐらいの間において、労組側が準備・作成してきた一二項目の要求事項からなる解決案に即して、逐次、会社側の回答を求めるべく、被解雇者一〇名の解雇撤回問題やバックペイの支払などの諸要求について会社側と協議を重ねていた際、公開団交に移行後も、終始、解雇が不当労働行為であり無効であることを否定し、バックペイの支払要求を拒否したり、数回にわたり、明示的ないし黙示的に団体交渉の打ち切りを求める高森社長ら会社側委員六名に対し、支援者らが、こもごも、「四年半の争議だったら、ひとり大体一億くらいかかるんだよ。ひとり一億ぐらい常識だ」、「三〇億円用意してこい、三〇億」、「お前がちゃんと謝罪して、バックペイを払うと言うまで団交はやめないぞ」、「お前を徹底的に標的にするからな」、「編集室を分散さして逃げようと思ったって、今度は攻撃しやすいんだぞ。都労委命令、無視して逃げてる会社は悪いということになるんだからな。どんどん編集室潰していくぞ、お前」、「てめえの全生活が壊れているんだよ高森圭介。お前今晩どこに泊まれると思ってんだよ」などと面罵・怒号したり、机を叩くなどの威勢を示し、それぞれの身体及び自由にいかなる危害を加えるかもしれない態度を示して高森社長ら会社側委員六名を脅迫し、もって、多数の威力を示し、数人共同して右社長らに対し、暴行・脅迫を加えたものである。
二 三・三一(東村山本社)事件
高森社長は、前記第六回団交終了の日(昭和五一年三月二八日・日曜日)の午後、急遽、東京都杉並区内の教育社・海外学習相談室に係長以上の職制・役職らを集めようとしたが、連絡不十分のため、五、六名が集まるにとどまったので、とりあえず第六回団交の経過・結果を説明し、翌三月二九日、同都新宿区内の喫茶店「王城」に、会社側委員の各メンバー及び係長以上の職制ら約二〇名を集めて、第六回団交において労使間で調印された別紙(二)下段の確認書(昭和五七年押第七〇号の5)をめぐる協議を重ねたけれども、結論は出なかった。同日は、教育社労組側へ三月三一日の東村山本社における団交の時刻を知らせる予定になっていたので、松田(惇)業務推進部長が教育社労組事務所の秋山書記長に電話で「まだ結論が出ないので、一日待って欲しい」旨の連絡をした。高森社長は、翌三月三〇日にも前記「王城」で前日と同様の協議を重ねた結果、同日午後七時前ころ、自ら、被告人Aに電話で「明日の団交はやらない。確認書は無効である」旨の通告をした。
教育社労組は、全く予想していなかった会社側の硬化した前記のような応答を受け、直ちに執行委員会を開き、翌三一日午前八時ころから東村山本社前での確認書破棄に対する抗議・団交要求の行動を展開することを決め、その旨支援者グループにも連絡した。
教育社労組員・支援者らは、昭和五一年三月三一日午前八時ころから、同都東村山市恩多町一丁目一二番地三所在の教育社・東村山本社前に集まり、約三〇名ぐらいがシュプレヒコールをあげ、マイクで団交再開を要求するなどしたが、会社側の反応が全くなかったことから、
(一) 同日午前一〇時前ころ、教育社労組は右本社駐車場付近で執行委員会を開いて、「本社構内で集会を開き、具体的解決に向けた団交要求と確認書の一方的な破棄に対する抗議を行うこと」を決め、これを、順次、教育社労組員・支援者らに伝えたのち、被告人B、同C、同D、同F、同G、同H、同I、同J及び同Kは、ほか一〇数名の者(氏名等不詳)と共謀のうえ、共同して、同日午前一〇時一〇分ころ、右本社敷地東南隅付近にある教育社労組の組合室(以下「組合室」という)に隣接する高さ約三・二メートルの塀(波型万能鋼板製)による囲繞地箇所の、(1)上部付近に張り巡らされていた有刺鉄線を切断し、(2)同所の右波型万能鋼板六枚の、固定ナット・フックボルトを取り外して、これを剥がし、順次、同社敷地内に侵入し、さらに、同敷地内の鉄柵塀の、(3)鉄柵六本を溶接部分から引き剥がして、構内中庭に立ち入り、一部の者らが、中庭から正門内広場(本社事務棟に向かう位置にある)に通じる門の、(4)南京錠一個を切断して、正門内広場へ入り込み、右正門横の通用門の、(5)南京錠一個及び施錠用鎖二本を切断するなどして、同日午前一〇時四〇分ころまで同社構内に滞留し、もって、数人共同して他人の器物を損壊し(修復費用等損害額合計約一三万三五〇〇円相当)、故なく建造物に侵入し、
(二) 被告人Kは、ほか数名の者(氏名等不詳)と共謀のうえ、右同日午前一〇時二〇分ころ、前記(一)の(3)の鉄柵塀の西側にある同社製品倉庫の東側北隅付近のスレート製側壁一カ所を竹竿で突き壊し(損害額約一万三〇〇〇円相当)、もって、他人の建造物を損壊し、
(三) 前記(一)の午前における抗議行動展開後も、会社側が依然として何らの対応を示さなかったことから、教育社労組は、同日午後三時ころ前記の本社付近で、再度、執行委員会を開き、午前中と同様の本社構内での抗議行動などを行うことを決め、これを、順次、教育社労組員・支援者らに伝えたのち、被告人A、同B、同C、同D、同E、同G、同I及び同Lは、ほか一〇数名の者(氏名等不詳)と共謀のうえ、共同して、同日午後四時三〇分ころ、被告人D、同G、同Iら一〇数名の者(氏名等不詳)が、前記(一)の(3)の鉄柵損壊箇所を会社側がバリケード状に鉄扉を立てかけ、パネル板を横積みにして塞いでいたのに、これらを押し除けるなどして同社敷地内に侵入し、前記中庭と正門内広場との間の鉄柵門の、(1)南京錠一個を切断して、正門内広場に入り込み、(2)正門の南京錠二個を破壊し、(3)正門横通用門の施錠用鎖一本を切断するなどし、被告人Lが右通用門から、被告人A、同B、同Eら、その余の者らが正門から、順次、右広場に侵入して合流し、同広場において、デモ行進や集会を開くなどして、同日午後五時二〇分ころまで同社構内に滞留し、もって、故なく建造物に侵入し、数人共同して他人の器物を損壊し(損害額約七七五〇円相当)たものである。
第二行政学会印刷所事件
(労働紛争の概要・本件に至るまでの経緯)
昭和五一年五月当時、従業員約二七〇ないし二八〇名を擁していた株式会社行政学会印刷所(代表取締役社長・藤沢乙安)では、大多数の従業員が所属する同盟系の「関東化学印刷一般労働組合行政学会印刷所支部」(以下「同盟組合」という)と、前年三月下旬に結成された正式組合員七名ぐらいの「ぎょうせい印刷出版労働組合」(以下「ぎょう印労」という)の二つの組合が活動していた。
同会社においては、昭和四七年秋ころからタイプ室女子労働者の職業病問題が起こり、同四九年三月下旬にひとりが頸腕症候群により休職・療養に入ったことに関し、会社側が職業病の扱いをせず、同盟組合の対応も消極的であったことから、同組合青年婦人部の有志らが職業病認定闘争を展開し、所轄の労働基準監督署への実状申告を行うなどして、同署からの労災認定を受けた。
しかし、右のような同盟組合内部における職業環境改善対策などでの会社に対する運動方針の相違・対立が深まって、前記少数派の「ぎょう印労」が組織されるに至ったものであるが、そのころ、前記女性タ不ピストの会社を相手とする損害賠償請求の提訴を契機に、他の支援労働者の有志らを含めた「支援する会」も結成され、「ぎょう印労」と会社・「同盟組合」との関係は、さらに、難しくなっていった。
「ぎょう印労」では、昭和五一年春闘のテーマとして、職場全体の労働安全衛生問題を取り上げ、労働基準監督署への申告に基づく同所の立ち入り調査に合わせた五月上旬(三日間)の第一波ストライキに続き、同月一七日から二〇日までの第二波時限ストライキ(始業午前八時から一時間)に入った。その状況は、「ぎょう印労」組合員らが、朝方社前でビラ配布の情宣活動をし、始業時に会社構内に入り口頭でスト通告をし、各職場でのビラ張り活動に入りかけると、ロックアウトを理由とする会社側職制らによる構内への強制排除が行われるという態様のものであった。
被告人Jは、同月一八日ころ、「ぎょう印労」に貸した「立川自衛隊監視テント村」の宣伝カーの返還を受けた際、右組合員から前記のような強制排除・就労阻止の実状を説明され、翌一九日午前八時すぎころ仲間の運転する右宣伝カーに同乗して、東京都立川市曙町三丁目一八番五九号所在の株式会社行政学会印刷所正門前に出向き、四、五名の「ぎょう印労」組合員らが会社職制らによって強制的に構内から通用門外へ押し出されるなどしている現場を目撃した。
さらに、同日午前九時ころ、同組合員らのうちの四名が通用門から就労のため入構したが、事務所勤務のひとりがタイムカードに打刻しないで職場に入ろうとしたことから、これを就業規則違反・就労意思欠如とみなす取り扱いの指示を受けていた会社側職制らと揉み合いになり、同午前九時三〇分ころ会社側職制らが、抵抗する右組合員を取り囲みながら、手や肩・背中を押すなどして事務所出入口から通用門に向かって強制排除の措置を続け、これを正門内で現認した被告人Jは、直ちに数メートル右方の通用門方向に移動した。
(罪となるべき事実)
被告人Jは、同日午前九時三〇分すぎころ、前記行政学会印刷所正門右脇の通用門前において、同会社守衛・福島英吾(当時五八歳)が、前記組合員と会社側職制らの一団がもつれながら通用門に向かってくるのに即応し、南京錠を外して通用門扉の右側(公道に向かって)を構内方向に約三〇センチメートル開けた際、片足を踏み出したことから、福島英吾に「入るな」と怒鳴られ、左手拳で同人の右こめかみ付近を一回殴打する暴行を加えたものである。
(証拠の標目)…略(以下、「判断」中の証拠表示は略)
(主たる争点に対する判断)
第一三・二七(三鷹労政事務所)事件について
一 本件公訴事実の要旨は、「被告人A、同B、同C、同D、同E、同F、同G、同J、同K、同L及び同Mは、ほか多数の者と共謀のうえ、昭和五一年三月二七日午後二時一五分ころ、東京都三鷹市下連雀九丁目九番二号所在東京都三鷹労政事務所講堂において、株式会社教育社代表取締役高森圭介、同社教育部長辻裕久、同出版部長尾上進勇、同企画室長安東健児、同学評企画室長松田昌泰及び同印刷事業部工場長柿沼勝を会社側委員とし、被告人Aほか八名を労組側委員として団体交渉中、右組合員、支援者など約一〇〇名を同講堂内に導入し、同講堂内の非常口扉、窓に各施錠をするなどしたうえで右高森ら六名を取り囲み、同人らにいわゆる公開大衆団交とすることを要求し、同人らがこれを拒否して退場すべく右高森、尾上、松田、柿沼において席を立とうとするや、同人らに対し、『おいこの野郎団交だ座るんだ』などと怒号しつつ一〇数名をもって背後から襲いかかってそれぞれの腕、肩を抑えたり、引っ張ったりして椅子に引き戻したり、右高森を足蹴りしたりするなどの暴行を加え、これに抗議して団体交渉の打ち切りを告げ、退場する旨申し入れる高森ら会社側交渉委員六名に対し、『早く団交を続けろ』『このままで帰れると思っているのか』などと罵声を浴びせかけるなどしてこれを許さず、右公開大衆団交の要求に応じなければそれぞれの身体及び自由にいかなる危害を加えるかもしれない態度を示して同人らを脅迫し、畏怖させ、強いて右公開大衆団交に応じさせ、自己らにおいて作成した一二項目の要求事項よりなる『争議全面解決についての組合の基本的態度と解決案』と題する書面を示して同人らにその回答を求め、その後も再三再四団体交渉の打ち切りを要求する同人らの訴を退け、『バックペイを払わなければいつまでたっても帰れないぞ』『金で解決するときは一人一億が常識なんだ。三〇億円用意して来たか』『なにをねとぼけたこといってんだよ。お前を徹底的に標的にするからな』『てめえの全生活が壊れているんだよ高森圭介。お前今晩どこに泊まれると思ってんだよ』『我々は支援の労働者を集めて編集業務をどんどん潰して行くからな』などと、終始机を叩いたり足蹴りをしたりして威勢を示しつつ申し向け、右高森ら六名を面罵怒号し、右籔らの解雇の無効の承認、同人らに対する賃金の支払の約束などの諸要求を執拗に繰り返し、その間右高森らの用便の際には見張人を付し、また外部と電話連絡することを妨害し、途中右高森ら六名に協議することを迫って同人らを隣接の小会議室に移したときにもその廊下、窓外に見張人を置くなどして同人らが同室から脱出することを不能ならしめ、もって右高森をして前記一二項目につき逐一回答を行なわしめて翌二八日午前一時二〇分ころまでに至り、自己らにおいて作成した『確認書』と題する書面に署名することを同人に迫り、躊躇する同人に対し、『つべこべいうとまるまるのませてやるぞ』などと申し向け、同人をしてもしこの要求に応じなければ引続き同所に留め置かれて更に身体の自由を拘束されるものと畏怖させ、同人をして強いてこれに署名させ、よって右高森ら六名をして義務なきことを行なわしめるとともに、同日午前一時三〇分ころまでの約一一時間にわたり、不法に同人らを右講堂及び小会議室内に監禁した」というものである。
しかしながら、関係各証拠によれば、本件公訴事実である監禁・強要については、後述のとおり、これを肯認することには、未だ合理的な疑いが残り、犯罪の証明が不十分であるといわざるを得ないが、右公訴事実に掲記の監禁・強要の手段とされた各暴行・脅迫については、判示認定の限度で、被告人らが、共謀のうえ、多衆の威力を示し、数人共同して高森社長ら会社側委員数名に暴行を加え、かつ、同社長ら会社側委員六名の身体・自由に危害を加えかねない気勢を示しての脅迫に及んだ点において、暴力行為等処罰ニ関スル法律一条(刑法二〇八条・二二二条一項)に該当する犯罪事実が認められる旨の結論に達した。以下、その理由を説明する。
二 本件公開団交の経緯・状況
前掲の関係各証拠を総合すると、左記の事実が認められる。
(一) 第五回団交後、本件公開団交に至るまでの経緯
1 判示のとおり、教育社労組は、第五回団交の翌日に開かれた昭和五一年三月二四日の同労組執行委員会の討議を経て、解決案をまとめたほか、中労委から会社側に対し初審命令の履行勧告がなされたことや、これまでの五回にわたる団交の進展状況から労使の話し合いが次回の団交で具体化し解決の可能性も出てくることを転機とし、さらに、公開団交により争議解決を図った他の団体の例などをもふまえ、当日の交渉を有利にすすめるため、団交開始後約一時間経過したところ全組合員及び支援者らをも交えた公開団交に切り替える方針を決め、翌二五日に組合員らの全体会議での承認を得たうえ、同日、三鷹労政事務所長から同所講堂(以下「本件講堂」または「講堂」という)の使用許可を得て、支援の関係組合・団体に右公開団交への動員要請の連絡を済ませたけれども、会社側には、右のような第六回団交の中途から公開団交に切り替える旨の事前の連絡・通知を一切しなかった。
なお、労組側では、会社側が公開団交を強硬に拒否して混乱状態になることまでは想定せず、公開団交に移行する段階での説明・説得で切り抜けられるものと考え、団交の終了時間についても、会社側の回答・対応次第によるものとして、具体的な終了時刻の予測までは行わず、本件講堂の使用許可を得るにあたり、同館の閉館時間である午後九時までとして団交会場を確保し、さらに、交渉委員以外の参加者については、とくに動員目標はなかったけれども、教育社労組員らを含め約八〇名ぐらいの参加を期待していた。
2 他方、会社側は、第五回団交終了後同月二五日ころまでに、高森社長を始めとする会社幹部の間で、争議解決の会社側の方針につき、中労委の初審命令の履行勧告がなされていることをふまえ、基本的には、同勧告、すなわち、都労委命令の主文に従った線で、労組側と協議を重ね、収拾を図る方針を決めていた。
なお、当時の教育社では、高森社長ほか、桜田部長、辻部長、尾上部長及び松田(惇)業務推進部長の五名での構成ないし右五名のほか安東室長、松田(昌泰)室長及び柿沼工場長の三名をも加えた部長会ないし責任者会議で会社の基本的な方針を決める態勢をとっていたが、その方針決定に当たっての実際面は、名実ともに教育社の代表者である高森社長の意見・意向が強く反映されていた。
3 事実認定上の問題点
ア 検察官は、「判示の『団交開催に関する合意事項』の書面(以下「団交開催に関する合意事項書」または「合意事項書」という)を作成した際、労使間で、右合意事項書に記載されなかったものの、いわゆる紳士協定として、<1>暴力は絶対に振るわないこと、<2>団交の席には、支援者は一切入れないこと、<3>時間は二時間以内にすること等の取り決めもなされた」旨主張し、会社側委員はこれに副う証言をし、他方、右合意事項書作成に直接関与した労組関係者はこれを否定する証言・供述をするところ、右紳士協定なるものの内容は、実質的に、合意事項書で文書化された内容と同旨のものにすぎないし、第一回ないし第五回の団体交渉の経緯、とくに、右各団交がほぼ合意事項書の内容に副う形で推移していたこと、第六回団交において、高森社長を始め会社側委員が支援者らの入室してきたのを見て、労組側に対し、約束違反であるとして、支援者ら全員の退出を求めているほか、前回の第五回の団交の席上でも、高森社長が団交時間・支援者の点について言及する場面もあったこと、前示のとおり、昭和四七年一二月に、労組側からの被解雇者問題など一一項目についての東村山本社における全組合員及び前記支援共闘会議のメンバーらをも交渉人員とする五時間ぐらいの団交要求に対し、会社側から交渉人員・時間及び交渉事項の縮小を条件にされるなどして、開くことができなかったこと、右<1>の点は、団交の前提であることに照らすと、会社側が右<1>ないし<3>のような事柄は当然遵守される旨の意識で昭和五一年三月九日以降の各団交に臨んでいたことは認められるけれども、右の労組関係者の証言・供述などに徴すると、それ以上に、労使間で右合意事項書を作成した際、事実上その種の話題が出たことはともかく、明示的に検察官の主張する内容の紳士協定が、別途、取り決められていたとまで認めることは困難である。
イ 検察官は、本件について、「被告人らが、当初から、高森社長ら会社側委員の身体・自由を拘束して労組側の要求事項を一挙に受諾させる意図で行った計画的な犯行である」旨主張する。
確かに、労組側が、事前に、第六回団交の中途から公開団交に移行することを決め、支援要請をするなどして準備をする一方、会社側に対しては、その旨を全く連絡していなかったこと、公開団交とした趣旨の中には、当日の交渉を労組側に有利に進行・展開させる意図にあったことも、前示のとおりであるけれども、右の点が、労働法上、適法な団体交渉といえるか問題となる余地があるとしても、このことから直ちに、監禁・強要等の犯罪を企図したものということはできない。また、当日の公開団交に移行してからの推移・状況等を考慮しても、検察官の主張する内容の事前共謀が被告人らの間で成立していたとみる余地はなく、他に検察官の右主張を裏付ける証拠はない。
ウ 弁護人は、「前記の三月二四日の執行委員会において、公開団交の交渉を進めるのは、あくまで教育社労組の執行委員を中心にした労組側委員であり、他の参加者は傍聴者として団交の推移を見守ることを決めていたにすぎない」旨主張し、これに副う労組側の証言・供述もある。しかし、右供述中には、「傍聴者の発言がどういう発言かということは、一切話題にもしたことがなかったので、特別また予め傍聴者には発言させないとか、そういうことも決めていなかった」などの部分もあるところ、後記の具体的な団交の進行状況、とくに、一部の支援者らが中心となって発言・野次を重ねていた際、当日の労組側の進行役に当たっていた被告人Aが、騒然とした場面で、数回、発言・野次などを軽く制止することがあったのみで、それ以外では、これを放置しあるいはこれに同調しての労組側委員の発言場面が数多くあること、さらに、労組側が公開団交とした趣旨として、当日の交渉を有利に進める意図のあったことも否定できないことなどに照らすと、前記執行委員会・全体会議の席上などで、支援者の当日の団交における位置づけ・具体的役割などについて深く討議がなされたり、あるいは、その旨が支援者らまでに伝えられていたとまでは認められない。
(二) 東京都三鷹労政事務所の周辺・建物内・本件公開団交の会場の状況及び同事務所の管理態勢など
1 昭和五一年三月当時の三鷹労政事務所及びこれに併設された三鷹労政会館(以下、同事務所・同労政会館をあわせて、単に「三鷹労政事務所」ということもある)は、国電三鷹駅の南方約二キロメートル、警視庁三鷹警察署の南方約七〇メートルに位置し、北西側を道路に、他の三方を燃料会社営業所・小学校及び中学校にそれぞれ接した敷地内(敷地面積・約一三二四・三五平方メートル)にあり、道路に面した正門から、同事務所建物(木造モルタル平屋建てL字型)南西中央部の玄関までの間には、同敷地内の中庭に設けられた全長約二三メートルのコンクリート舗装の通路があった。なお、正門内側右横に公衆電話ボックスが設置され、三鷹労政事務所の一般利用者は、主に右の公衆電話を利用していた。
同建物内の中央部に幅員約一・六二メートルの廊下があって、廊下北西側にあたる玄関左側には、事務室・所長室などが配され、玄関と事務室との間に、二段式のガラス張りの受付窓口があり、玄関から事務室を見通すことができ、廊下南東側にあたる玄関右側には、当日の団交の途中で会社側委員が協議する際に使用した小会議室(約三四・七〇平方メートル・以下「本件小会議室」または「小会議室」という)、これに接して南東側に当日の団交の会場となった講堂(約一三二・二三四平方メートル)、さらに講堂東側に中会議室があり、また、廊下をはさんだ北東側には、右から中会議室・男女別の便所・倉庫・休憩室・湯沸室・女子更衣室・和室及び図書資料室などが並んでいた。なお、男性用便所内は、小用の水洗式便器三個などがある程度の広さであった。
本件講堂内には、北東部に設置された演壇の左右に、前記の廊下を経て便所・小会議室・玄関及び事務室などに通じる両開き扉の出入口(以下「廊下側出入口」という)と、中会議室に通じる出入口の二カ所があったほか、講堂内北西側及び前記中庭に通じる南東側のそれぞれ各二カ所(合計四カ所)に、両開き扉の非常口(いずれも「彫込棒鍵錠」とこれを補強するための「丸ラッチ」が取り付けられたもの)があり、さらに、会社側委員席の約二メートルぐらい背後の二カ所(南東側非常口北側)に、いずれも上下二段の四枚からなるガラス窓(いずれも施錠用の「中折捻締」が取り付けられていた)などがあった。また、本件講堂の収容人員は、一二〇名で、これに見合う折りたたみ式机と折りたたみ式椅子を備え、当日の団交開始前には、折りたたみ式机一脚に折りたたみ式椅子二脚ぐらいを一セットにしたものが、演壇に向き横長になるように縦九列・横五列ぐらいの割合で四五脚前後置かれていた。
なお、本件講堂の廊下側出入口から男性用便所入口扉までの距離は二メートル弱であり、廊下側出入口から事務室受付窓口付近までは、約一〇メートルぐらい離れていた。また、本件の団交開始当初、右非常口、窓などは、いずれも閉められていた。
本件小会議室には、廊下に接した玄関に近い北西側に両開き式の扉の出入口と、同じく南東側に扉一枚からなる出入口があり、さらに、中庭に面した小会議室南西側に、横に三分割し上下二段の一二枚からなるガラス窓(いずれも内側に中折れ錠が取り付けられていた)があり、そのガラス窓のうち、最下段を除いては、透明ガラスであり、これを通し、屋外の前記中庭などの様子をうかがうことができ、また、下段の窓枠には、窓の開閉を知らせる警報機の端末が取り付けてあった。なお、小会議室北東側の合板壁に事務室との内部連絡用のインターホンが設置されていた。
2 三鷹労政事務所は、「労働者の地位の向上と労使間における健全な労働関係の確立を図るために必要な指導、教育福祉及び調査に関する事務並びに三鷹労政会館の運営管理に関する事務をつかさどる」東京都の行政機関であり(東京都労政事務所処務規程一条参照)、三鷹労政会館は、「勤労者の文化・教養及び福祉の向上を図ることを目的とする」三鷹労政事務所の付属施設として設置されたものであるところ(東京都労政会館設置及び管理に関する条例一条参照)、本件当時の三鷹労政事務所では、平日の午後五時以降及び土曜日の午後以降の労政会館利用者の便宜のため、利用者があるときに限り、約一〇名の男性職員のうちの一名が交替で、同事務所・労政会館の管理等に当たる態勢をとり、第六回団交当日(昭和五一年三月二七日)は土曜日であったため、団交開始予定の同日午後一時ころには、同日午後からの当番の同事務所職員・柳田真(以下「柳田職員」ということもある)を除く他の職員の大半は既に退庁していた。
(三) 第六回団交の推移・状況
1 午後一時ころから午後二時一五分ころまでの状況
(1) 団交当日の昭和五一年三月二七日(以下、この(三)の1ないし9においては、とくに断わらない限り、同日を指すものとして年月日等の記載を省略する)、労組側は、教育社労組委員長被告人A、副委員長同B、執行委員同C、執行委員同D、執行委員同E、執行委員同F及び組合員同G(同被告人は執行委員樫村滋の代わりに出席。なお、同人も後に当日の団交に出席した)ほか、執行委員北原種明及び同秦尚義の労組側委員九名が、同日午後一時前後ころまでに、三鷹労政事務所に集合し、労組側・会社側の各交渉委員席を準備するため、講堂内の東側窓沿いの前記の机と椅子九セットぐらいを、演壇に向かい縦二列に一ないし二メートルぐらいの間隔を空けて向かい合わせるように並べ換えるなどしていた。
他方、会社側は、高森社長(当時三六歳)ほか、辻部長(当時三五歳)、尾上部長(当時三一歳)、安東室長(当時四二歳)、松田(昌泰)室長(当時三八歳)及び柿沼工場長(当時四二歳)の五名の交渉委員で当日の団交に臨み(前記団交開催に関する合意事項書で会社側委員とされていた桜田総務部長は教育社・東村山本社に待機し、松田((惇))業務推進部長も所用のため、いずれも当日の団交に出席しなかった)、リース会社から派遣された専属運転手付の社長専用車とタクシーに分乗し、定刻よりやや遅れた午後一時一〇分ころ、三鷹労政事務所に到着し、社長専用車の運転手を、団交終了まで三鷹警察署前付近の路上に待機させ、労組側委員らの案内で、同事務所玄関を通って講堂内に入り、会社側委員席として前記の窓側の机四脚にセットされた各椅子に、演壇側から、柿沼工場長、尾上部長、高森社長、辻部長、安東室長及び松田(昌泰)室長の順に着席し、これに対座する形の机五脚に配置された椅子に、演壇側から、被告人F、同C、同D、同E、同A、同B、同G、北原執行委員及び秦執行委員の順に労組側委員が着席した。なお、会社側委員席からその背後のガラス窓・非常口扉までは、約二メートル弱あり、廊下側出入口に最も近い位置に座っていた柿沼工場長の席から、同出口までは、約一二ないし一三メートル前後あった。
団交開始に先立ち、従前の五回の団交と同様、団交内容・経過を録音するため、労組側は被告人Eが、会社側は安東室長が、それぞれ持参したカセットテープレコーダーを使用して録音を始め、労組側は団交が終了するころまでのほぼ大半を録音したが、会社側は準備したテープが四時間分のみであったので、四時間分のテープの録音を終えたのちには、前の録音部分を消去する形で、重要場面を中心に録音した。
午後一時一五分ころから開始された第六回団交の冒頭、労使双方から相互に相手方の解決案の提示を求めるなどしたのち、会社側において解雇の不当労働行為責任を認めることが争議解決の前提であるとする労組側と、これを認めることは困難であるとする高森社長及び解雇が正当であることを暗に前提にしたうえ、労組側の主張が一方的であると批判する尾上部長らとの間で、議論を交わしたが、平行線をたどった。
午後一時五〇分すぎころ、労組側は、会社側に対し、「争議全面解決についての組合の基本的態度と解決案」の書面(別紙(二)上段・以下「解決案」という)を提示し、これに則して団交をすすめることを提案し、「交渉はかまいません」としつつも、「これは解決案じゃないです、全然」などとする高森社長との間で、前同様のやり取りをするうち、尾上部長から「これ(解決案)は失礼ですけれど、組合の本当の総意ですか」などと、解決案が組合員全員の総意によるものかにつき疑念を呈する趣旨の発言がなされたことから、これを契機に、本件解雇がなされるまでの経過、四年有余の長期間のストライキ態勢・解雇撤回闘争・これに対する会社側の対応などをめぐって、同部長と労組側との間で、双方の立場からの、感情論をも交えた、意見をぶつけ合うこともあった。
(2) 他方、当日の会場係担当の教育社労組書記長秋山雁太郎は、午後一時四〇分ころ、三鷹労政事務所に着き、同事務所中庭付近において、支援要請を受けて三々五々集まってきた支援者・教育社労組員らに本件の公開団交を設定した経過説明などをしていたが、午後二時一五分ころまでに、乳幼児を連れた女性を含む支援者・教育社労組員ら約七〇名前後が同事務所中庭付近に集合し、そのうちの数名の支援者が、午後二時前後ころ、数回にわたり、団交会場である講堂内に入ったため、労組側委員に誘導されて、一旦、外に出る場面もあった。
2 午後二時一五分ころから午後二時三〇分ころまでの状況
(1) 被告人Aが、これまで五回の団交における会社側の回答では争議の抜本的解決にならず、また、会社側が前回約束した会社側の解決案を提示していないことなどを指摘したうえ、第一回団交の冒頭において高森社長の述べた「不退転の決意で来た」との内容を問いただすなど、約二分近い発言をしていた午後二時一五分ころ、労組側は、前記中庭付近に集合・待機していた被告人J、同K、同L、同Mを含む支援者及び教育社労組員ら約七〇名ぐらいを講堂の廊下側出入口から同講堂内に入場させ公開団交に移行しようとした。
これに対し、支援者・教育社労組員らの入場という予想外の事態に、高森社長が、被告人Aに対し「あのね、委員長、ちょっと言いますけれども、みんな全部出して下さい」などと申し入れ、同被告人から、「どうして」と問い返されても、「そうじゃないですか」と言ったのち、約一分ぐらいの間に、
(ア) 「これは、まずいですよ」(辻部長)、「困るよ」(会社側)、「約束違反です」(尾上部長)、
(イ) 「何が約束違反なんだ」(被告人A)、「座ってなさいよ」(支援者。以下、労組・支援者側の氏名不詳者の発言については、「労組側委員」、「支援者」、「女性支援者」などと表示する)、「だから、公開団交という形でやりましょうよ」(被告人E)、「ちょっと待てよ、じゃあ団交を拒否するのかよ」(同A)、
(ウ) 「これは、どういうことだ」(高森社長)、「どういうことだ」(同社長)、
(エ) 「ちょっと待ちなさい」(支援者)、「座れ」(同)、「どういうことじゃないよ」(同)、「座れよ」(被告人D)、「こら」(支援者)、「・・この野郎」(同)、「ちょっと待て」(同)
(オ) 「何が約束違反だ」(被告人A)、「座りなさい」(支援者)、「座んなさいよ」(同)、「座れ」(同)、
(カ) 「委員長、話しできない・・これ」(松田((昌泰))室長)、「なぜ話しできないんだ」(被告人A)、「おい・・」(支援者)、「ほら、松田さん座んなさいよ」(女性支援者)、「やることがない・・何やってんだ」(支援者)、「約束が違うってどういうことだ」(同)、
(キ) 「何が約束が違う、どういうことですか」(被告人A)、「そうじゃないか」(高森社長)、「いいですか。三月八日の確認書取り交わしたよな、あれ知っているでしょう・・」(同被告人)
などの会社側の抗議の発言と支援者を含めた労組側の発言・野次・怒号が交わされ、
右の(ア)ないし(イ)のころ、尾上部長を先頭に、高森社長、柿沼工場長及び松田(昌泰)室長が席から立ち上がり、ないし、立ち上がりかけ、これに対し、マスクなどをした被告人J、同Kらを含む支援者ら七名ぐらいが、会社側委員の背後に回り、右尾上部長、柿沼工場長、松田(昌泰)室長及び高森社長らの肩・腕などに手をかけて椅子に座らせるなどし、被告人Mを含む二、三名も会社側委員席前に行くなどして、騒然とした雰囲気となった。
しかし、被告人Aが、マイクを使用して、前記(キ)の「いいですか、三月八日の確認書取り交わしたよな・・」などと話し始めたころから、会場内の騒然とした状況・雰囲気は、次第に鎮静化し(なお、高森社長が前記の「みんな全部出して下さい」と発言をしてから、被告人Aがマイクを使用して右発言をするまでの時間は、約一分強ぐらいにすぎない)、そのころまでに入場してきた支援者・教育社労組員らの大半は、労組側委員席背後の机に配置してあった椅子などに着席し、それぞれ団交の傍聴を始めたが、マスクをした二名ぐらいの支援者が、松田(昌泰)室長の後方の非常口の扉付近に置かれた椅子・机などに腰掛け、同様にマスクをした被告人Jほか一名の支援者が、会社側委員席左横の会社側委員席机に対しT字型に置かれた机にセットされた椅子に座り、また、同じくマスクをした支援者二名が、柿沼工場長のやや右後方の北側窓付近に置かれた椅子と、同工場長席右横のストーブの付近に置かれた椅子にそれぞれ着席した。なお、会社側委員が用便等のため自席から講堂外へ出るためには、会社側委員席北東側の演壇前などを経て、廊下側出入口に至るところ、公開団交移行後においては、その通路に当たる演壇前付近に、スピーカーの置かれた机などがあったため、通路幅が一メートルにも満たないところもあった。
被告人Aは、右に引き続き発言を続け、「第二回の団交の席上で、高森社長が労組側の人員を五名ぐらいにして欲しい旨の意向を示した際、労組の交渉委員を何人にするかについては労組のそのときの状況で自主的に判断することであると言ってあること及び松田(惇)業務推進部長も『会社が組合の交渉委員を制限するとか、あるいは組合が会社の交渉委員を制限するとか、そういうのはおかしい。それはお互いが自主的に判断することだろう』などと述べていたことや、会社側の見解どおりならば、団交開催に関する合意事項書では出席メンバーとして記載されていない安東室長、柿沼工場長らを団交に参加させていることさえ右合意事項書に反している」ことになるとしたうえ、他の教育社労組員のほか支援の労働者を集めて公開団交とした点について、「バックペイ・ポストノーティスを今後一切組合は請求しないという条件でのみ原職か原職相当職に戻す」と主張する会社側と、「争議の全面的・抜本的解決のためには、争議責任の所在を明らかにし、会社が四年数カ月の間の組合員の生活破壊に対する補償をする」と主張する労組側とのいずれが現実的かを、教育社労組員・支援者らに知ってもらうためであるとし、さらに、他の争議解決では、会社側が解雇等を不当労働行為であったことを不本意ながら認めて解決している例を引用し、教育社労組の主張が他の争議解決例と比較しても、一方的かつ非現実的な要求ではないなどと、約五分前後にわたり、公開団交とした趣旨などについて説明をした。
これに対し、高森社長は、労組側がセットしたマイクを使用し、労組側委員以外の教育社労組員・支援者らが傍聴していることについて格別異議などを唱えることなく、「僕は、はっきりここで言っておくけれども、我々は中労委に出していること(を)、まず確認しておきたい。会社は、解雇は不当であったとは認めていない。会社は、第一段階、第二段階というように分けて、解決案を出している」、「第一段階の回答としては、あなた方を復帰させるか復帰させないかは会社が考えることであ(る)。仮に復帰させた場合には、バックペイとポストノーティスは(団体交渉で)話し合っていくべき問題で(ある)。会社は、団交を受けるということについては、いささかも団体交渉を拒否しているわけ(では)ない。但し、会社は中労委から(再審査の申し立てを)下ろすということをするならば、そこまで会社の方が一歩突きすすめば、それは解雇撤回と同値になるわけだから、その場合には、あなた方の方で、バックペイ問題とポストノーティスの問題は直ちに中労委から取り下げて、しかも今後行政訴訟を起こさないということと、さらに今後、団体交渉の要求項目に永久にあげないということを・・」などと従前から提示している会社案を述べたが、同社長が発言し始めたころから、支援者らから「それがどうしたんだよ」(支援者)、「ナンセンス」(同)、「ふざけたことを言うんじゃないよ」(同)、「ふざけるな」(同)などの野次が散発的になされた。
なお、高森社長は、本件団交当時、被告人J、同L及び同Kの具体的な氏名までは把握していなかったけれども、同被告人らが以前から教育社の東村山本社前・での労組の集会・抗議行動などに参加していたことから、同被告人らの顔を知り、同Mについては、当日まで全く面識がなく、辻部長は、教育社労組員以外の被告人J、同L、同K及び同Mを始め支援者らのいずれとも当日まで面識がなかった。
(2) 事実認定上の問題点(略)
3 午後二時三〇分ころから午後四時前後ころまでの状況
(1) 午後二時三〇分すぎころ、労組側は、会社側に対し、解決案に即して具体的に協議することを求めたところ、高森社長が直ちに応答しなかったため、「今度は『だんまり作戦』ですか。それが社長が第一回団交で言った不退転の決意ですか」(被告人A)、「今までの五回の団交のなかで、何回となく社長の方から、組合の具体的な解決案を出して欲しいと、一体どういうことを考えているのかという話があったからはっきり出している・・そのことに関して、具体的に出して欲しい」(同C)などと発言し、支援者らも「ほら真面目にやろうよ、高森」(支援者)、「組合の言った提案に答えて見ろよ。そんなにむっつり黙っていても解決しやしないんだよ、お前。具体的に何か言ってみろよ」(同)などと発言し、その間、解決案が支援者らにも配られるなどしたのち、午後二時四〇分前ころから、高森社長が解決案冒頭Aの「争議解決についての基本的態度」の項から、順次、回答を始めた。
高森社長が、右の「争議全面解決についての組合の基本的態度」につき「会社の態度は、現状では変えることはできない」、同解決案Bの「争議全面解決に向けた組合の解決案」1の被解雇者一〇名の解雇撤回・原職相当職復帰問題、同2の非解雇者一九名の原職相当職復帰問題について、先と同内容の会社側の見解を述べ、非解雇者一九名の組合員の原職復帰時期に関しても、労組側がテント闘争を展開していることなどを念頭に、実質的にもストライキを解いた状況になれば、即時に会社もロックアウトを解除して原職復帰を実現するなどと回答したため、都労委命令後の就労請求に会社側が対応を示さなかったことからテント闘争を展開していた労組側は、右回答に反発するとともに、会社側に当日の団交でロックアウトの解除時期の明示などを求めた。
この間、「テントを撤去して下さい」、「会社の方としては、ロックアウトを解いてもかまわないという状況(と)判断されれば、それは直ちにそういう形(ロックアウト解除)にもっていきますよ」などと発言する高森社長に対し、主に支援者らからの、「ふざけるな」(支援者)、「ロックアウトした反省がないんじゃないか」(同)などの野次が散発的にあったため、その後の支援者からの野次に、労組側と協議をしていた高森社長が、支援者らに向かって「外野は静かにして下さい」などと注意し、被告人Aもこれに即応し、「今社長が話すそうだから、少し静かにしたいと思います。では社長、言って下さい」などと、支援者らの発言・野次を軽く制することもあった。
右のロックアウト解除時期の問題は、午後二時五〇分ころまでに、高森社長からの、解除を前提として「数日中にロックアウトの解除時期を明示する」旨の回答を受けた労組側が納得する形で終えたのち、引き続き、解決案2イの「各人の職種、職務を確定する」、同ロの「各人の現行賃金を確定する」旨の各問題も簡単にまとまった。
(2) 次いで、解決案2ハの嘱託の組合員(吾妻、塩井、根本、藤田、E)の正社員化問題に移り、高森社長が、「今後の団体交渉で煮詰めていく」、「今後各人の能力だとか働きに応じて考えていく」などと回答したところ、非組合員の嘱託については、既に昭和四八年夏ころ、その希望により正社員にしたことを会社関係者から伝え聞いていた労組側は、右回答が組合員に対する差別・不利益扱いであるとし、会社側に対し、組合員を正社員化できない理由を問いただし、次いで、正社員化する具体的な日時を当日の団交で明示することを求め、高森社長が、組合員の嘱託でも正社員にするという基本的な方針を示しつつも、その具体的な日時を当日ないし次回団交で明示することは困難であるとし、組合員の就労後にしたいとの意向を示したことで、押し問答となった。この間、「正社員にするという方向で会社は考えている。今後、日にちが経つにつれて、正社員になる人が多いと思います、これは」などとする高森社長に対し、支援者らからの机を叩いての抗議や、「本人が社員になりたいというのが一番大きな要因だよ。社員にすればいいじゃないか」(支援者)、「ふざけるな」(同)、「交渉にならないじゃないか」(同)、「いずれ社員にするということじゃ、答えにならないんだよ。今、社員にすると約束すればいいんだよ」(同)などの野次があったけれども、労組側は、即時ではなく次回団交までに正社員化する具体的日時を求めるなど、やや柔軟な姿勢を示して折衝を重ねた。
その後、高森社長が一時沈黙するなどしたのを契機に、「黙ってないで、何とか言えよ」(支援者)、「いい加減に引き延ばすのを止めなさいよ。そっちが不退転なら、こっちはもっと不退転で来てんだぜ。答えてみろ」(同)、「お前の話はいつまで経っても並行線だよ。寝てないで早くやれよ」(同)、「ふざけんじゃないよ。起こしてやろうか」(同)などと、一部の支援者らからの野次などが強くなったため、午後三時三〇分前ころ、被告人Aが、「今、考えているみたいだから、少し静かにして待っていたいと思います」と制止する場面もあった。ところが、その直後に、高森社長が、「この問題はね、何度言われても先ほど答えたままです」との回答をしたり、労組側の長期間にわたるストライキとの絡みで、就労日数(が足りないかどうかの点)も当然正社員化に当たっての基準となる旨の見解を示したため、会社側のロックアウトや組合潰し(不当解雇)に抗議・抵抗するストライキの継続中で、(嘱託の組合員らが)就労したくてもできなかったことなどを労組側委員が説明する一方、同社長の発言に立腹した支援者らが、「ふざけんのも大概にせい」(支援者)、「お前らが勝手に放っぽり出しておいて就労日数が足りないなんて、そんな言い訳が立つと思っているのか。もしそんなことだったら、原職復帰ということはどういうことなんだよ」(同)などと抗議することもあった。
しかし、午後三時三五分すぎころ、高森社長から、稼働意欲・態度に問題がある場合ないしストライキ期間中の就労日数問題などから直ちに正社員化できないとの含みを残しつつも、次回団交で就労日数などの問題をも含めて正社員化の基準を明示するとの回答に接し、基準に照らせば正社員化する具体的な日時をも明示できるとする労組側委員との間でのやり取りを経て、午後三時五〇分前ころには、嘱託の組合員全員を同時に正社員にするのは困難であるとしても、一部の組合員については、既に正社員となるに必要な一定の就労日数を満たしているはずであるとする同社長の発言に対し、一部の労組側委員・支援者らに不満があったものの、被告人Aが右発言で納得・了承し、同社長から次回団交で正社員化する具体的日時を明示する旨の約束を取り付けてまとめ、結局、ストライキ期間中の就労日数の取り扱いにつき労使間で曖昧な点を残しながらも、次回団交までに会社側が正社員化の基準等に照らし検討したうえ、次回団交で各嘱託の組合員毎に正社員化する日時を示すことで、解決案2ハの問題を終えた。
(3) 午後三時五〇分ころ、引き続いて解決案2ニの「組合員であることによる差別、不利益扱いをしない」旨の問題に移り、労組側が高森社長に回答を求めたところ、同社長は、「ありえないです」と答えたのに続き、「委員長、あんた一時から三時までと言ったから、もう予定がある。あなた、何時までってはっきり言って下さい。電話かけて言わなきゃならんから。予定がある」などと言い、被告人Aが、「予定はわかるけれども、争議の抜本的な解決(を)する具体的な話が進んできてる」などと答え、高森社長が、「四時なら四時、四時半なら四時半というふうに、ちゃんと決めて下さい。用事があるのにね、これだけあんた、きちんとやってる。今日は一五分遅れてきたから、それはある程度はやむを得ないと思う、あなた達もこれだけ出してきてるんだから」などと団交終了時刻の明示を要望し、「進展具合いを見て」とする被告人Aに対し、さらに、「何、進展具合いとはどういうことですか、僕の方で、速やかにぽんぽんと答えていくから、あんたの方で何時までとやって、次回団交でやればいいじゃないか。だから、何時まで・・」などと、再度強く同旨の要望をした。
これに対し、被告人Dが、「三番、三番」と次の問題に移ることを求め、同Aも、「九時。今日決めようと思ってんだから」などと答えたため、高森社長が、「九時、九時って夜の、冗談じゃないです。何を言っているんですか。こっちだって大事な用がある」、「紳士協定をちゃんと守ってくれなければ困ります」、「四時半とか五時とか、決めてもらわなきゃならん。九時じゃ困る。どうしても行かなければならない所がある」、「それだったら、その前に言えばいいじゃないか。その前に九時までかかるなら九時までと言えばいいじゃないですか。九時なんて冗談じゃないよ。それは駄目だ」などと反発したのに対し、労組側は、被告人Aを中心に、「大事な用はわかります。しかし、一番大事なのは、この争議を抜本的に解決することじゃないですか」(同被告人)、「こういう争議の全面解決の団交の大事な席で、会社に大事な用があるからといって抜け出していく経営者はいない。他の争議解決の最終場面に(も)臨んできているけど、そんな経営者はいない。ちゃんと時間を割いて臨んでくるんですよ、経営者というのは」(同)などと、団交続行の説得を約六、七分間ぐらい続けた。
この間、支援者らも、同様に団交の続行を求めたほか、高森社長の拒否の発言の都度、「あんたがぐだぐた延ばしてんじゃないか、この野郎」(支援者)、「うるさい」(同)、「ふざけんなこの野郎」(同)、「ふざけるんじゃないよ」(同)「四年半の責任は、どう取るんだよ」(同)、「紳士協定守ってくれ・・だ、この野郎」(同)、「この間の毒性スプレーの件は、どういうふうな紳士協定に乗っかってやってんだよ。言ってみろよ」(被告人K)、「逃げたいときだけ、紳士になるんじゃないぞ」(支援者)などと口々に怒号し、机を叩いて抗議することもあった。
そのうち、被告人Aが、「時間がもったいないから、それは(時間の点は)、会社の回答次第だから」などと言い、これに対し、「それはまずいよ、それはまずい」などと高森社長が拒絶するうち、被告人D、同Aが、解決案3のバックペイ問題に関する会社側の回答を求め、これを受けるかのように、同社長が、バックペイについては払う意思はない旨回答したのを契機に、午後四時前後ころ、解決案3のバックペイ問題へなし崩し的に移行した。
なお、高森社長は、同日午後三時ころにも「我々は帰る」と発言した旨証言するが、午後二時四五分ころから午後三時三〇分ころまでを録音した労組側テープ二巻A面には、そのような発言の録音部分はなく、関係証拠に照らすと、会社側が団交の終了時間の点を最初に問題にしたのは、前示のとおり午後三時五〇分ころと認められる。
4 午後四時前後ころから午後七時三〇分ころまでの状況
(1) 午後四時前後ころから始まったバックペイ問題について、会社側は、都労委命令で棄却されていることなどを理由に、「支払う意思はない」、「支払う理由はない」、「話し合う余地はない」などと拒否する態度で一貫し、他方、労組側は、都労委命令が最大の争点であった解雇問題を不当労働行為と認定しているほか、バックペイを当事者間の自主交渉の対象とすることまでをも否定している趣旨ではないとの理解のもとに、会社側の争議責任を明確にする意味からも、会社側にバックペイの支払回答を求め、当初から意見が完全に対立した状態で進行し、会社側の回答・発言に、激しい反発・非難の意見・野次が相次ぎ、その態様は、被告人Aら労組側委員が中心となる場面、支援者らの発言・野次などが中心となる場面、労組側委員と支援者らが同時発言する場面などがあった。すなわち、
(ア) バックペイ問題に入った当初、高森社長が拒否の回答をした際、支援者らを中心に、二〇秒ぐらい、「この野郎、どうするんだ」(支援者)、「早く帰りたい、ふざけんなよ(同)、「(会社側委員の発言に)なにー、用があるんだったら、こっち来い」(同)」、「バックペイを支払わないなんて、ふざけるな」(同)などと激しい野次・怒号を浴びせ、騒然とした状況を経て、
(イ) その後約二〇分ぐらいの間に、拒否の回答で一貫する高森社長に対し、まず、被告人Aが、「バックペイをどうするかということについては、どこの争議でも問題になる。バックペイを支払わないということで争議が解決したところはどこもない」、「会社の常識に従って判断したって、バックペイを支払わなけりゃ争議解決をしないことを、あんただって知っているはずだ。これが、教育社が初めてだというのなら、考えてもいい。他の争議をみたってわかるように、この間の四年数カ月の賃金をきちんと支払うということで責任をとる、バックペイを支払う。そういうことをやんなけりゃ争議解決にならないことくらい、経営者なら知っているわけだ。そういうことをしないで争議解決をできると考えているのなら、経営としてもおかしい」などと発言し、
(ウ) 次いで、支援者らを中心に、「高森は、この争議を解決するために何億用意したんだよ、それを出してみろ。普通、四年半の争議だったら、一人大体一億くらいはかかるんだよ。一人一億くらい常識だ。四年半だぞ。お前。労働者が解雇されるというのは、死を宣告されたのも同じだよ・・人の生活を奪っておいて・・いい加減にしろ」(支援者・訴因)、「三〇億用意してこい、三〇億」(同・訴因)、「払いませんじゃ解決はつかないんだよ」(女性支援者)、「早く解決して、帰りたいだろう」(同)、「お前。一番大事なところじゃないか」(同)、「九時になったって帰れないよ」(支援者)などと強い口調での追及が続くなか、
(エ) 被告人Aが、「バックペイを払わなかったら、解決にならないよ、はっきり言っておくけど」、「こんなところで、また一〇〇年戦争をやるわけ、いいですよ、会社がそういう決意なら組合もやりますよ」、「都労委命令を遵守することが、争議の抜本的な解決にはならない。それは、出発点にはなるけど、抜本的には解決にならないんだ。そんなこと、中労委でも言われたでしょうが・・バックペイぐらい払わなきゃ駄目だと」などと発言し、他の労組側委員も、「(中労委は)都労委命令だけで、全面的に争議の解決がなされるなんておかしいと言っている。それを真剣に考えてる経営者なんておかしいじゃないか」(被告人B)、「あんた、ふざけんじゃないよ。四年間の生活破壊みたいなところは、本来的には金なんかで解決できないんだよ。(ガードマンから)頭をぶん殴られたり、毒性のスプレーふっかけられたり、そんなのを金で償うなんて、そんなの本来的に全然要求したくないよ。お前の誠意の証として出せと言ってるんだ」(労組側委員)、「誰が首を切ったんだよ、誰がロックアウトしたんだよ」(被告人D)、「わかったでしょう、今ので、支払う理由はあると、会社にね支払う理由はある、という形でね喋っているわけですよ。そのことに対して、ちゃんと答えなさいよ」(同C)などと口を挾んだりした。
午後四時二〇分前ころ、高森社長が、被解雇者一〇名の解雇撤回及びバックペイ問題につき、従前と同内容の会社側見解を示したのに対し、右発言に憤激した一部の支援者が、「お前一人粉砕するの簡単だよ。やってやろうか、本気で。甘えるな、少し、いい加減に。お前全然反省の色がないじゃないか」などと怒鳴り、さらに、高森社長が、「あなた方は、どうもこの間からの団交を勘違いしてるんじゃないですか」と切り出し、前同様の発言をして沈黙したのに対し、労組側委員を中心に、同社長の言う「被解雇者を仮に復帰させる」との趣旨や会社側の争議解決の基本的方針などを追及し、その後しばらく、腹を立てた支援者らを中心に、「お前が謝るまで団交はやめないぞ。お前がちゃんと謝罪して、バックペイを払うと言うまで団交はやめないぞ。とぼけるな、お前、いい加減に。当り前のことやんないで、何で次の項目が解決できるんだよ。まだ裏の頁まであるんだから、しっかりやれよ、ほんとに」(支援者・訴因)、「飯だって入れさせないんだぞ、馬鹿野郎」(同)、「一〇年も二〇年も・・東村山警察署が来てくれると思ったら大間違いだよ、あんた。そういう力を背景にして、私達を弾圧しているのをいつも見てるわけでしょう」(女性支援者)、「こんな会社潰すの、わけないぞ」(支援者)、「社外に業務持ちだして逃げたときに困ったろう。一つ一つ潰されて、当該に。ああいうこと、また繰り返したいのか、お前。本社を取り巻いて、全部閉じ込めちゃうぞ、お前」(同)、「お前、ずっと黙ってるんだったら時間の問題なんか絶対に言わせないぞ、覚えとけよ、ちゃんと」(同)などと、しばらくの間、解雇が不当労働行為であることを否定し沈黙する高森社長ら会社側を追及・糾弾する状況が続いた。
(2) 午後四時三〇分すぎころ、会社側は、高森社長に代わり、尾上部長が、労組側委員・支援者らを相手に反駁する形で、昭和四六年ころの会社の経営理念・会社側からみた労使間の紛争・解雇の経過などをふまえ、「出版の一応、責任者の僕は、会社の態度は、間違っていなかったと思ってます」などと発言を始め、「出版人としての自分達の理想を作り上げようとすれば、現実社会では一つの絶対的な力が必要だった」、
「僕らは四年前、現実の会社の一つの最終的な意思表示(本件解雇)まで、会社のなかで一人ひとりが今の非組の諸君まで含めてみんなで悩んでいた。それは事実です。それで、四年半前に最終的に、僕らはその(解雇の)道をとった」などと詳細な意見を述べた。しかし、労組・支援者側は、右の尾上発言を都労委命令の内容やガードマンの組合員らに対する暴力問題などを棚上げにしての一方的な意見としてとらえて反発を強め、「それが、労働者を四年間も放逐することなのか」(支援者)、「鉄パイプでぶん殴ってきて、それで理想かよ」(同)、「お前、現実はな、社前の鉄塀とガードマンだけなんだよ」(同)などの激しい野次・怒号を浴びせ、一方、尾上部長も、「ちょっと聞きなさいよ」、「(支援者の『お前、評論家かなんかじゃないぞ』の野次に)評論家じゃないです。自分が生きる原点から喋っている」、「(『マイクを使えよ』の支援者の発言に)マイクなんか使わなくとも、僕の声は届きますよ」などとやり返し、騒然となったため、被告人Aが、「静かにして聞くから、どうぞ」ととりなす場面もあった。
その後も、支援者らの野次が続くなか、尾上部長は、前同様に、会社の経営理念などをふまえ、「資本主義社会では力というのは金だということ・・僕らみたいに出発して今年が八年目です、そういう中で、同じ理想を持(ち)、同じだけの社会的価値を持つ仕事をしたいと、みんな思ってた。だから、連日残業一〇八時間とか、一一〇時間とか、みんなそういう仕事を、(反発の野次に)ちょっと黙って下さい、黙って聞くって言ったんだから。それで僕らは、会社のもとを作ってきた・・それからもう一つ、同じ釜の飯を食うことは、絶対的な仲間です、まさに同志です。(労組・支援者側の笑い声に)あいを入れるな。そういうなかで、一つの教育社共同体というのを作ろうとしてきた。だからこそ、僕らは、組合が結成されたとき喜んだ。そういうものを一つの媒介項として、社が一層まとまるに違いないと・・だからこそ、こういうような争議がずばり不幸な状態にならないように、そのためのさまざまな手段というのを会社として講じたが、残念ながら、不幸にして四年半前のああいう会社の最終的な意思表示をせざるを得ない羽目に陥った」、「すべての出発点を四年半前に求めるなら、それ以前の状況に遡らざるを得ない」、「組合の諸君が、話し合いの大前提に、要するに会社が手をついて謝ればいいんだと、涙流して謝れば、それが全ての出発点なんだというようなわけにはいかない」などと、昭和四七年一月の本件解雇に至った経過などをふまえ反駁した。これに対し、右発言に憤激した出版関係の支援者から、「お前の出版人の理想なんて言ってもな・・うちの第二組合の委員長と同じようなこと言ってんじゃないか・・組合は要らない、組合員は全員排除されて当り前だと、解雇されて当り前だと言うこと、お前は、一言、それだけ言えばいいんだ、お前。もうこれからあれだぞ、お前の自宅攻撃を・・お前を徹底的に・・同じ標的にするからな、これから(『よし』、『異議なし』などの他の支援者らの発言あり)。お前、うちの第二組合の委員長以上にもっと徹底的に糾弾するからな、いいか」(訴因)などのほか、他の支援者からの感情的な激しい野次が続く一方、労組側委員も、尾上部長の右発言内容とバックペイを支払わないこととの結び付きなどを問いただし、昭和四六年当時のストライキの状況・これまでの五回にわたる団交の経過・労組側の態度などについて会社側の立場からやり返す同部長との間のやり取りを、三〇分以上繰り返し、一時支援者らの反発の野次などで会場内が騒然となる場面もあった。
午後五時一〇分ころ、支援者のひとりが、「闘争資金を払うのか、これから。今まで俺達は、五億や一〇億もらってんだぞ、会社から。それで、ずっと闘争やってんだぞ。教育社もそれでやってみたら・・」などと自己の関係する労働争議の例をあげて発言したのに呼応するかのように、被告人Aも、「それでいいんだな」などと言い、しばらく沈黙していた高森社長から、再度、都労委命令が被解雇者の原職復帰は認めているものの、バックペイ・ポストノーティスを棄却していることを前提に、交渉をすすめる旨回答され、労組側に促された辻部長からも、同様の意見を述べられるなどし、交渉は一向に進展しなかった。この間、支援者から、「解雇は正当だったんだな」、「解雇が不当だったということを認めるまでやってやるよ、この団交で」などと追及された高森社長が、「もちろん、正当だったと考えてます」、「だからこそ、会社は、中労委に出しているわけであって・・」などとやり返したり、また、労組側委員が発言をしている際に、支援者らから、「編集室を分散さして逃げようと思ったって、今度は攻撃しやすいんだぞ、都労委命令、無視して逃げてる会社は悪いということになるんだからな・・どんどん編集室潰していくぞ、お前。都労委命令無視できないんだぞ警察権力だって、お前」(支援者・訴因)、「争議行為として編集業務、どんどんつぶしていくからな、これからも、いいか」(同)などの糾弾がなされた。
なお、午後五時三〇分前後ころ、労組側は、手配したパン・牛乳などを労組・支援者側のほか会社側委員席にも配り、会社側委員のいずれもが、パン・牛乳には手をつけなかったけれども、その前後ころ、労組側の用意したお茶は自由に飲んでいた。
(3) ところで、午後五時四〇分ころから五分間ぐらいにわたり、尾上部長と労組側委員・支援者らとの間で、再度、前同様のやり取りをし、その際、同部長から、労組側の支援者を入れての団交の進め方を「多くの人の力を背景に、こういう格好で出てきた」旨批判する意見も述べられるなどしたのち、辻部長が、一部の労組側委員に対し「今日、このままやろうと言ったって無理じゃないか。次の機会があるだろう」、「僕はちゃんと話してるし、これからだってやろうと言ってんだよ。これ(解決案)だって持ち帰って検討しなきゃなんない」、「そんなに今日すぐできるわけもないし・・」などと発言し、尾上部長も、「この三で止まってるからです。残された問題に時間がかかったら、次の、また次(の団交)でという格好で、そりゃ交渉できるでしょう」などと暗に当日の団交の打ち切りを求めたけれども、そのころ、高森社長の回答に対する労組側の反発の意見・野次などが重なったため、右の辻、尾上両部長の暗に団交の打ち切りを求める旨の発言は、交渉場面での具体的な議題にならなかった。
その後しばらく、支援者らを中心に、沈黙を続ける高森社長ら会社側委員に対し、労組に対するバックペイの支払を求める発言が続き、この間、「金の問題なんだよ、金の」(支援者)、「お前の命、もらうなんて言ってないんだよ」(同)、「時間がくれば終わるというものじゃないぞ、これは」(同)、「お前もなあ、特防のガードマンに一回殴られてみろよ」(同)、「毒性スプレーでもなあ、かけられてみろ、お前。てめえの娘がなあ、毒性スプレーをかけられたら、どうなると思っているんだよ、お前」(女性支援者)、「やったろうか」(支援者)、「わかんなきゃ、今日かけてやろうか」(同)、「高森よ、あんたさ、本当に解決したいのかい。こっちは四年半の苦しみと青春を踏みにじられ(た)実績があるんだよ、あんたによってな。あんたは、それ相当の腹を痛めて、この問題を解決してないじゃないか。何を思ってんだよ、あなたは」(同)、「勝手に消耗するなよ、お前は。何やってんだよ。何も答えないから消耗してんじゃないか」(同)などといった、争議期間中における教育社労組員の生活状況・ガードマンの暴行問題なども絡めての野次を飛ばし、労組側委員も、「これ(バックペイ)出さないと解決にならないよ」(被告人A)、「誰が俺らの生活を目茶苦茶にしたんだよ、言ってみろよ」(同D)、「払わないでいい理由という奴をさ、出してごらんよ、納得いくよう」(同B)、「都労委命令にバックペイの件についてあったでしょ。但し、払わなくてもいいんだというの、全然説得力ないよ」(同A)など言い、やや一方的に会社側委員を追及する形が続いた。
午後六時一五分ころ、労組側から発言を促された辻部長が、再度「こういう状態でやる・・」などと言いかけると、「こういう状態ってなによ、あんた」(女性支援者)、「話をそらさないで下さい」(被告人A)などと言われて黙り、そのころ、高森社長がトイレなどに行き席を外していたため、「高森がいないから今のうちだぞ、心情を暴露しておくのは」(女性支援者)、「茶坊主はいないぞ、安心して喋れ」(支援者)などと、会社側委員らを揶揄する発言をすることもあった。
その後、労組側は、営業サイドからの会社側の意見を求めるため、松田(昌泰)室長に質問したところ、同室長から、「この場では個人の意見ではなく、会社の意見を言うべきであり、また、二〇〇人ぐらいの人それぞれに答える必要はなく、労組側の代表の質問に答える」などと、念を押されたうえ、高森社長と同内容の回答がなされたため、被告人Aが、「この争議が、これから五年、一〇年、二〇年、三〇年続いていって、会社の方から、組合の方に金を払わざるを得なくなって、それで、会社を運営していくのが、いいですかって聞いている」などと言い、同Lも同旨の発言をしたが、同室長から、「この解決案は、今即答できるものもあるけれども、できないものもいっぱいある。これだけのものをすぐここで即答と言われても、これは無理だから、次回に」などと答えられ、また、同室長が支援者らの質問・追及にこだわっていたことから、「お前な、答える義務があるんだ」(支援者)、「相手の団交メンバーについて、とやかく言えないんだ、お前は、たかが営業部長のくせに」(同)、「こっち側の団交メンバーはな、組合が決めるんだよ。誰が発言しようとお前に規制されることはないんだよ」(同)、「当該組合が委任した奴は全部交渉委員なんだよ」(同)などとなじり、その後も、同室長との間で、従前と同様のやり取りが繰り返された。
(4) 会社側と労組側との間で議論が平行線をたどるうち、午後六時三〇分ころ、支援者らの中から会社側がバックペイ問題に関し意思統一のため協議すべきであるとの発言がなされ、これを受けて、労組側が会社側委員六名で協議することを求めたのに対し、これを拒否する会社側との間で、しばらく押し問答が続いた。
労組側は、そのころ、三鷹労政事務所事務室などに詰めていた柳田職員から、会社側の協議場所として講堂に隣接した小会議室利用の承諾を得る一方、高森社長が、「参加するべきものがみんな参加しないから、それ(協議)は無理です」、「誰が出てこれますか、こんな時間に」、「そういう短時間ではできない」、「もうこの時間になったら無理だ」、「あなた達の言ってることはよくわかった」などと強硬に協議することを拒絶したのに対し、再三にわたり、当日の団交に参加していない桜田部長ら他の会社幹部を団交会場に呼んだうえでの協議を求めたり、支援者らもこれに加勢する形で、強い口調で迫り、「何が無理だ、この野郎」(支援者)などの反発の野次や机を叩く音などで騒然とすることもあった。なお、午後七時前ころ、被告人Eが、「今回の第六回団交で、とにかく解決の基本骨子まで持っていこう」などと言って、会社側に協議することを求めたけれども、高森社長の意見は変わらなかった。
午後七時すぎころ、高森社長が、社長としての立場からしても従前の回答のとおりであるなどと言ったのをきっかけに、労組側は、同社長を除く会社側委員ら個々にバックペイ問題に関する意見を求める方向にすすめ、労組側から意見を求められた松田(昌泰)室長が、前同様、個人として意見を発言すべきではないとしたり、同社長と同旨の発言をしたりしたため、被告人Lが、「(バックペイを支払わないことになれば)五〇年戦争をやるってことを含んでだぜ、わかってんだろうな、それは」などと言い、同Aも同旨の発言をするなどして追及した。
午後七時五分ころ、尾上部長が、「今日のこの事態ってのは、会社はもういやっていうほどわかった」、「今、一人ひとりにお前いいのかみたいな格好で、あの、やるのは・・」、「今、これだけの人員がいて隣に部屋とってやったんだから、てめえら三〇分ぐらい話してこいと、それはちょっとおかしいと思う」などと、労組側の団交の進め方に抗議したのに対し、前年四月に開かれた被告人Lの解雇撤回闘争に関する私立工業高校当局との公開団交の際、自らも労組側の交渉委員として参加した同Aが、同団交で、理事者側において、一、二時間別室で協議し具体的な回答を出した模様を話すなどしたが、同部長から、右の例が教育社の労使間には当てはまらないとされたうえ、公開団交という事態は全く予想していなかったなどと反論され、「出せるところまで(の結論を)出して欲しい」との同Aの発言にも、同部長から、「圧倒的な圧力でしょうが、圧倒的な圧力でしょう」、「今日の団交でわかったことが多々あるから、帰って検討をしたい」、「二時間も三時間もなんて、今日この状態では身が持ちません」などと協議することを拒否され、これに労組・支援者側の反発の意見・野次が繰り返される状態が続いた。
午後七時二〇分すぎころ、高森社長は、「検討することについてやぶさかじゃない、けれども、前向きにしても、我々が決めていることがある。どこまで決められるのか、さっぱりわからない」などと口を開き、「今六人の範囲で決められる幅でいいから、検討して出して下さい」、「そこまで譲りますよ」などとする被告人Aに対し、「それで今日は終わるんですか」、「今日はもう七時すぎになっているでしょうが、こりゃ無理だ」などと応答したのち、「今日、調印までもってくなんて、組合、そんな、ごり押ししてるんじゃない。解決の基本骨子までいきたい」(同E)、「少なくともバックペイについては払うように検討するとか、そういった言葉を入れるべきじゃないか」(同B)などと、やや柔軟な労組側委員らの発言や、「全部決められるんだよ」(同D)、「男らしく決断しろよ、お前」(支援者)、「お前、社長が決断しないと、また五人の奴、変なこと言い出したら、また時間が経つだけじゃないか。お前が決断しなくちゃいけないときは、お前が決断せいよ。ブレーキとることなんか、何も難しいことじゃないぞ。どこの経営だってやってることだよ」(同)などの労組側委員・支援者らの発言・野次がなされるうち、午後七時三〇分近くになって、高森社長が、「一応協議しろと言うのだから協議だけします」と言い、労組側の案内で、同社長ら会社側委員六名が本件講堂に隣合わせた小会議室に移動した。
(5) ところで、公開団交移行当初、七〇名前後の支援者らが団交会場内である講堂内に入室し、その後徐々にその参加人員は増え、午後五時すぎころには、支援者・教育社労組員の数は、一〇〇名前後に達したが、その後次第に減少し、翌三月二八日午前零時すぎころには、五〇名を割る状況であった。
支援者らの大半は、労組側の要求に対決姿勢を示す会社側委員らの発言に対し、散発的な野次を飛ばすにとどまっていたけれども、被告人L及び同Kらを含む一部の支援者は、前示のとおり、単なる傍聴にとどまらず、会社側委員に対し、直接発言をしたり、野次を飛ばすなどし、さらに、前記の会社側委員席左横に座っていた被告人Jを含む支援者が、会社側委員の回答・態度に反発した折、自己の前の机を会社側委員の机にぶつけて音を立てることもあった。また、会社側委員が小会議室に協議のため移動したころまでに、会社側委員席の左右ないし左右背後付近の椅子などに腰掛けていた支援者らのうち、松田(昌泰)室長の後方の非常口の扉付近に置かれた椅子に腰掛けていた支援者と柿沼工場長のやや右後方の北側窓付近に置かれた椅子に腰掛けていた被告人らは他に移動した。なお、乳幼児を連れた女性の組合員・支援者らは、幼児らを会場内の椅子に腰掛けさせたり、会場内ないし三鷹労政事務所中庭などで遊ばせるなどしていた。
本件講堂内の窓ガラス・非常口扉等は、前記のおり、当初は閉められていたが、会場内では、喫煙が自由になっていたため、たばこの煙が会場内に立ち込めたときには、会社側委員らの背後の窓ガラスや同委員席や中庭に面した非常口扉が開けられて換気がなされ、右非常口を通って、直接、中庭との間を行き来する支援者らもいた。なお、会社側委員が小会議室で協議する以前の夕方ころ、講堂内の窓等のカーテンが閉められた。
他方、小会議室で協議するまでの間、会社側委員が便所等に行くことは、自由に行われていたけれども、会社側委員と相前後して便所に行く数名の支援者らもいた。また、午後四時四〇分ころ、安東室長は、新宿区内のレストランで待ち合わせをしていた知人に連絡をするため、事務室前の玄関を経て、三鷹労政事務所正門横にある公衆電話から、右レストランに電話をかけたものの、知人とは連絡が取れずに、団交会場である講堂に戻っているが、その電話の際、三鷹警察署が北の方向にあることに気付き、そのころ、同事務所中庭付近で秋山書記長と会話を交わすこともあった。
(6) 事実認定上の問題点(略)
5 午後七時三〇分ころから午後八時三〇分ころまでの状況
(1) 会社側は、小会議室内で労組側の要求するバックペイ・解決金の支払などについて、高森社長を中心に協議したものの、結局、従前の方針どおり、労組側の要求には応じられないとし、労組側に対しバックペイ問題につき後日会社で検討することなどを説明し、当日の交渉を終えることの了承を求めることを決めた。高森社長は、午後八時すぎころ、会社側の協議等の進行状況を尋ねるため小会議室内に入ってきた被告人Aに対し、会社で協議しなければならない旨告げ、これを受けて辻部長も、「今日はこれ以上無理だよ」などと発言をした。
(2) 事実認定上の問題点(略)
6 午後八時三〇分ころから午後一〇時すぎころまでの状況
(1) 午後八時三〇分ころ、会社側委員が本件講堂に戻って団交が再開され、労組側から協議の結果を求められた会社側は、高森社長が、「今まで、会社の方としては、六人で協議しろということで、まあ無理であろうということを承知で協議をしてきたけれども、結論としては、さっきの域は出ない。(バックペイ問題については)やはり会社でもう少し幹部を集めて協議を再度やらなければ、不可能である」、「解決金という問題について、第一回目の団交から言っているけれども、これは、完全にシャットアウトしてるわけではない、どういう方向に持っていくかということについては、会社の方でもう一度幹部を集めて、きちんとした会議を開かなければならないと考えている」、「バックペイについて、会社の見解は、都労委命令によって、バックペイは棄却されているのであるから、バックペイの問題は今は受けられない。もちろん、これを、今バックペイ問題がなければ、これはとても解決できないという組合の趣旨は聞いている。これについては、いま六人では、とても結論が出ない」などと、協議の結果を説明した。
これに対し、労組側は、右回答に反発し、一時間近くかかった協議内容の説明を求めたり、また、都労委命令で、解雇が不当労働行為と認定されていることなどを根拠にバックペイの支払を求めたが、高森社長が、労組側の主張は十分理解できたとしつつも、従前と同様、都労委命令でバックペイが棄却されていることや再度会社関係者と相談・協議が必要であるなどと強く主張したため、押し問答が続き、この間、一部の支援者らも労組側委員に呼応して同旨の発言を繰り返したり、「お前の腹一つで決められるんだよ」(被告人D)、「解決しないで全面戦争をやるんだろう。そういうふうに決意したのか、お前」(同K)などと追及したほか、高森社長の拒否の発言の都度、前同様の野次や机を叩いての抗議がなされた。
団交が再開されて約二〇分ぐらい経過したころ、会社側を説得する趣旨から、被告人Aの提案により、他の争議団体のバックペイ問題を含む争議の実例などに関し、発言を求められた被告人Mは、自己の関係する出版社の争議につき、出版社側が、バックペイ等の支払などの話し合いに応じなかったことから、裁判などにより、既に相当額のバックペイ等の支払を余儀なくされていることなどを説明し、高森社長の決断いかんにより、争議が解決するか、あるいは支援者の労組支援を含め争議状態が泥沼化し、会社側が不利な状況に立たされる旨、約四分以上にわたり、比較的穏やかな口調で話した。これに対し、高森社長は「いろいろなご忠告、大変有難うございました。会社の方としても、できるだけ鋭意そういう努力をして、必ず・・」、「今のお話はよくわかりましたし、大変参考になりましたし、そのへんのことについては会社は、一生懸命、全面解決ということに向けて考えたい」などと、皮肉の意味も込めた余裕のある発言をしたこともあった。
このころの労組側・支援者らの発言は、即時に、バックペイの支払の回答を求める旨の発言が多かったものの、労組側委員の中には、バックペイがなければ争議が解決しないという労組の考えは理解したなどとする高森社長の発言をとらえ、「バックペイを払わなきゃいけないところまでわかったんだから、バックペイを払うという方向で検討するということを約束しなさいよ」(被告人E)、「具体的な額はどれだけにするかは、検討しなけりゃわからないというのなら、話はわかる。(しかし)前向きの姿勢で検討する、あるいは払う方向で、やるということぐらい、この場で言えるでしょう」(同A)などと、柔軟な発言をするものもいたところ、これに対しても、高森社長から、六人で協議した結果無理であるなどと拒否された。
(2) その後も、労組側は、主に、高森社長に対し、バックペイ問題の決断を迫る発言をし、支援者らもこれに呼応し同様の発言や野次を繰り返す形で交渉が進行し、しばらく沈黙している高森社長ら会社側委員に対し、「決断しろ」(支援者)、「何が共同体だ、馬鹿野郎」(同)、「黙ってんじゃない、この野郎」(同)、「お前な、バックペイの問題だけで六時間ぐらいも話し合ってんだよ。それなりの結論を出したらどうなんだ。お前のやっているのは、黙っているのと解決したいというのとさ、繰り返しやっているだけじゃないか。内容がないんだ。六時間・・そろそろ結論出せよ、お前なりの」(同)などと、追及・糾弾したのち、午後九時ころから三〇分ぐらいの間、前同様の回答をする高森社長に対し、労組側委員・支援者らとの間で、左記のようなやり取りがなされた。
(ア) 「何遍も言うように、さっきからその協議もしたし、この場では結論が出ないから・・」、「それは無理だと言ってる」などとする高森社長に対し、「今、ここで出さなきゃ駄目でしょ」(被告人C)、「不退転の決意ってのはどこに行ったんだよ」(同D)、「社長、尾上氏によれば、たった八年間でこれだけの急成長に持っていくだけの力を持っている経営者が、何だよ、たかだが三〇(人)の組合の争議すら解決できねいって言うのかよ」(同E)、「何をためらっているんだよ」(支援者)、
(イ) 「何遍も言うように、協議した結果はこうであるから、協議した結果・・」、「これは、会社に行って、みんなで協議しなきゃ駄目だと・・そういう問題については重要な問題ですから・・」などとする高森社長に対し、「協議した結果なんて逃げるんじゃないよ」(支援者)、「お前が決めるんだ、ためらうな」(同)、「何しに団交に出てきたんだ」(被告人D)、「一時間の休憩時間に、社長の考えは、休憩に入る前とあとどういうふうに変わったんだよ。えっ、それがなきゃ、(他の)五人が考えなんか喋れるわけないじゃないか」(同E)、「時間が経てば経つだけ、お前の負け方はもっとひどい負け方になっていくんだぞ、お前」(支援者)、「お前だけでやってんじゃないんだからな、教育社当該とな、ここにいる支援全部に対する闘争宣言なんだぞ、それは、お前。総力を挙げてやって潰してやるよ、お前。営業所全部しらみ潰しに潰してやるよ、お前」(同)、
(ウ) 「だからこの場では、これ以上・・」などとする高森社長に対し、「ふざけたこと言うんじゃないよ」(支援者)、(机をぶつけて大きな音を立てながら)「早くしろ、この野郎」(同)、「ふざけんのもいい加減にしろ、ほら」(同)、「四年半の生活どうするんだよ」(同)、「お前、どこまで舐めてんだよ」(女性支援者)、「そもそもね、四年半前に首を切ったことが間違っていたんだよ。間違った首切りをやって、多くの組合員、支援の人を傷つけて、それで四年間放置してきたんだよ。それを今、あんた、無傷の自分が無傷のままでこれを収拾しようとしているんだよ」(被告人F)、「会社のあの当時の帰結の仕方が間違ったから、争議がこういうふうに長くなったし、広がってきてるわけだよ。そしたら、間違っていた帰結をその時点まで立ち戻って修正していくしかないでしょう。その間違った間に破壊されてきた組合員の生活補償をどうするのかというのが出てくるのがあたり前じゃない」(同E)、「金だけじゃな、過去のものは全部取り戻せないんだよ。しかし、せめてバックペイという形だけでもお前が誠意みせなかったら、お前なんのために・・」(支援者)、「社長退陣もついでにくっつけるか」(同)、「退陣要求出すぞ、お前の」(同)、「形あるものを何も持ってきていないじゃないですか。この一時間の間でも、組合の出したこれ(解決案)について何も検討してないじゃないか」(被告人E)、「お前らの、そういう・・もうみんな腹の中が煮えくり返っているんだぞ、お前。お前が解決の方針出すしかねえんだぞ」(女性支援者)、「何とか言え、この野郎」(支援者)、
(エ) 「さっきから言っているように・・」、「会社の方でね、幹部が集まって・・」などとする高森社長に対し、「いいかげんにしろ、お前」(支援者)、「それじゃ駄目だと言っているでしょう。何でいまさら、会社幹部に相談してみなけりゃわかんないて、どっから出てくんの、この交渉の場で・・」(被告人A)、「決断もないところで、社長の決断のないところで協議したって何が出てくんだよ」(同E)、「時間が経てば経つほど、お前の責任の取り方も重くなってくんだぞ。これから・・いいか」(支援者)、「団体交渉をあなた方(会社側)が納得しないんだったら、我々はいくらでも説明するし、必要があれば、どこだって糾弾しますよ。あなた方も同じように我々ここにいる労働者を納得させるだけのものを持ってらっしゃいよ。そのために、団体交渉をやってんだから、こちらが納得しないってんだから、そこんところをちゃんと突き詰めて、納得させるように展開してみなよ」(同)、「籠城態勢整えているらしいけどよ、あんなのへでもないぞ、お前」(被告人K)、「お前達のなあ、足元を叩くのわけねえんだぞ、お前」(支援者)、「今度は、もうちっとボルテージ高いぞ、お前」(被告人K)、「どっちなんですか、はっきり決断しなさいよ」(同C)、「決められるんだよ、今決められるんだよ」(同D)、
(オ) 「それは、会社の方に戻って協議しないと・・」、「だから、会社の方に戻って・・」、「我々が、今一時間ぐらい、協議をしても、結論が出ないわけだから・・」などとする高森社長に対し、「責任逃れをするな、お前」(被告人K)、「お前、誰かに責任転嫁するんじゃないんだよ。お前だけなんだよ、決められるのは。お前が会社に帰って決めたって、俺らはな、お前が決めたとしか受け取らんのだよ、いずれにせよ」(同)、「何が会社に帰ってだ。舐めるのいい加減にしろ」(支援者)、
(カ) 「単に営業方針を決めるとか、それだけのことじゃなくて・・それはもっと重要なことなんだ・・」などとする高森社長に対し、「会社はいいよ、会社は、ちゃんと業務ができて、組合員でない社員は、毎日毎日飯食っているからいいよ。じゃあ、組合員は、どうせいと言うんだよ、その間。そんな人を馬鹿にした話ないでしょう」(被告人E)、「乳飲み子抱えてなあ、やってんだぞ、お前」(女性支援者)、「あなたが最高決定権を持っている社長である以上、あなたが社長として、ここで責任もって発言しろよ。重要な問題だからこそ、それが必要なんじゃないか。あと二名の決断が、何でここんところで必要なんだよ。あなた方の決断が必要なんだ。そのために、あなた方は、六名の団交メンバーを持ってきたんだろう。本来なら、高森さん、あんた一人と団交やったっていいんだよ。あんた一人をさ、何百名で取り囲んで、団体交渉をやっていいんだよ。それを、ちゃんと親切に、あなた方の部下六名も連れてきてやってんじゃないか。それで相談できないんだったらさ・・社長としての能力がおかしいんだよ」(支援者)、「そう、社長の退陣要求を付け加えようか」(被告人K)、「いいかい、お前、経営者に対して、退陣要求とか降格要求を出して、通った組合だってあるんだぞ。副社長が平の部長になった会社だってあるんだぞ。経営者だとか何か管理職だと思ってでっかい面してるけど、今の労働者の力というのはな、お前らの力以上にあるんだよ」(支援者)、
(キ) 「それは、何度も言うように、さっきから言っているとおりです」などとする高森社長に対し、「こっちも何回も言ってるだろう」(支援者)、「高森、首を切った人間をもう一回雇ってやるみたいな口ぶりだったら、大間違いだぞ、お前。どこまで舐めているんだ、労働者を」(女性支援者)
などと、高森社長が発言する都度、労組・支援者側が反発の発言・野次で終始する状況がしばらく続いた。
(3) 午後九時三〇分すぎころからは、他の会社側委員はもとより、高森社長自身も発言する回数が少なくなって、しばらく沈黙を続けるようになり、他方、労組側は、その後もバックペイの支払がない限り、争議の全面解決は無理であるとし、同社長に決断を求め、とくに、一部の支援者らが、机をぶつけて大きな音を立てながら、「答えて見ろよ、この野郎」(支援者)、「高森さん、こっちだって忍耐に限度があるんだよ、この野郎。時間が過ぎりゃさ、誰だって腹立ってくるぞ。お前、黙ったりさ、今までと同じだ、みたいなこと言ってるけどさ、黙ってないぞ、本当に。お前がそんなつもりだったら、こっちだってちゃんとやるぞ、原則的に、えっ」(同)、「黙ってるんじゃねえ・・」(同)、「まだ机ぶつけりゃ済むけど、お前、いつまでもそんな態度とっていると、どうなるかわからないぞ」(同)、「高森さ、支援者の数が少ないなら増やしてやろうか、少し、えっ」(同)、「お前、そんなに不満だったら、一人一人粉砕してやろうか」(同)、「(『払わないのなら払わないと、はっきり言ったらどうなんだ』との他の支援者の発言を受け)そしたら、徹底的にやるから」(同)、「ほら、飯を持ってきたぞ。こっちだって長期戦だからな、お前・・本当」(女性支援者。この発言がなされたころ、労組側が手配した、いなり寿司が会社側委員席にも配られたが、会社側委員は手を出さなかった)、「ハンストの真似事をやってりゃ帰れると思ったら、大間違いだぞ」(支援者)などとなじり、労組側委員も、「面子は潰れてるんだ、もう。あんたさっきから黙ってるけど、もう一五分だって経ってるんだぞ。一五分間に、組合(側は)いろんなこと言ったよ、それについて、あんたの方、もう一度発言しなさい。黙っていないで喋ってみなさい。一五分間、何考えていたのよ、何聞いていたんだよ」(被告人G)、「社長、教育社はあんたの興した会社で、自分がそこの君主であるという感じでね、案外そういう感覚を持ってるかもしれないけれども、あんた一人の生活と、俺達組合員の一人一人の生活は、同じ重さを持ってるんだよ。あんたね、俺達の生活を簡単に、一方的に生殺与奪の権か何かしらないけれども、処理できるようなそういった権利なんか全然ないんだよ。俺達一人一人の生活の重さを、今、あんたのこの場で集約的に、その重さを今突きつけられているわけだよ」(労組側委員)などと発言し、会社側に対し、解雇の不当労働行為を認め、バックペイ支払の回答をすることを求めた。
その後、午後九時四〇分前後ころ、高森社長が「協議しろと言うことで一時間協議してきた。その結果がこういうことなんです」、「それは、解決に向けて会社の方でも一生懸命なにをして・・」、「この場で決めろと言われても、会社の方としては無理だ、ということを言ってる」、「何度も言っているように、会社で、幹部会を開いてもう一度よく協議しますから・・」などと、従前と同様の回答をしたのち、再び二〇分ぐらい沈黙を続けた。
これに対し、前同様、バックペイの支払を求めて追及を続けた労組側は、午後一〇時すぎころまでの間、労組側委員・一部の支援者らが口々に強い口調で責め、とくに、一部の支援者らが「高森、お前よ。組合員とな同じような生活してみなきゃな、わからんというのかよ、お前。ふざけんじゃねえよ、お前」(女性支援者)、「あの恩多町の教育社の周りにも、いっぱいいるんだよ、支援の労働者に、包囲されているんだよ。もっとウルトラ戦術をとってやろうか」(支援者)、「(机を叩きながら)黙ってんじゃねえよ、この野郎」(同)、「こきやがれ、この野郎。何が編集人だよ、この馬鹿野郎。ハレンチ極まりないよ、何が共同体だ」(同)、「あんまり怒らすな」(同)、「お前な、高森。早く出さなきゃな、支援の労働者の数は夜につれて増えてくるんだぞ、お前。わかってるだろうな、それを。今のうちなんだぞ出すのは。さっきから下ばかり向いて、組合員の顔が見えるかよ、お前」(女性支援者)、「このまま何日でもつき合ってやったっていいんだよ、出すまで」(支援者)、「四年半やろうか、この状態を」(同)、「てめえの全生活が壊れてるんだよ、高森圭介、お前は今晩どこに泊まれると思ってるんだよ」(同・訴因)、「払えばすむんだよ、この野郎」(同)、「強盗みたいにただ金を寄こせと言ってるんじゃないんだぞ、こっちがもらって当り前の金なんだよ」(同)、「お前らが強盗なんだぞ」(同)「返せよぉ」(同)、「泥棒」(同)、「よくぬけぬけと言えるな、そんなことが。今、団体交渉の場に出ていながら、四年半の長い首切りの期間がありながら、三〇人近い人間にな、その家族を加えたら、大変な人間に苦痛を与えていたことについて一切の責任を感じないで、よくそんなことが言えるな、厚かましいよ」(同)などの感情論をも交えた罵詈雑言にわたる発言・野次などを繰り返した。
労組側委員も、支援者らの右発言・野次などを制することなく、また、右の支援者らほど、発言の回数・機会は多くなかったものの、この間、時折、「交渉にならないよ、社長、これじゃあ」(被告人A)、「交渉になる話をしようよ、社長」(同)、「争議の基本的な解決のためには、バックペイを払わないということは通らないことをふまえて、今ここにきている交渉団の協議の結果、バックペイは払う方向で会社へ持ち帰って幹部会で検討するというふうな形で答えられないですか」(同G)、「決められるんだよ。腹のくくり方一つだろう」(同D)、「払わなきゃいけないんだよ、あんたは」(同G)、「暴力ガードマンを入れて、組合員を首にして社外に排除した。あれは、あんたの腹一つで決めたんでしょ。責任者に指図して、責任者会議というのはその追認の会議だったんでしょ。それが今どうしてこのバックペイのことについて、これが争議の根本的な解決に不可欠の問題であるということがはっきりわかっているのに、どうして腹がくくれないですか。大した金じゃないよ」(同F)、「決められるんだよ」(同D)、「会社が解決に向かって不退転の決意で団交やるっていうから出てきてるんじゃないか。嘘じゃないか、それは」(同E)、「全国的に営業所が増えていけばね、争議が続けば争議の場所も全国化してくるということじゃない」(同)、「これ以上長引いたら、今度、この争議のあれはどういうことになるか知ってるでしょう」(同)、「「社長、あんたさ、組合の活動家一〇名の首切れば、争議のない明るい会社になったと言ってたな。この四年間どうだったか、争議のない明るい会社になったか。なっていないだろう。あんたのやり方が一番汚いぞ、暴力ガードマン、三メートルの鉄塀、警察官。何でこれが明るい会社であるか」(同B)、「バックペイを払うこと以外に争議の解決はないと言ってるんだよ。腹を決めなさい」(同)などと、高森社長の決断を迫った。
(4) 午後一〇時すぎころ、支援者らからの「さあ、どうするんだ」(支援者)、「解雇をどう始末するんだよ」(同)、「(机を叩きながら)どうするんだよ」(同)、「言ってることに答えろ」(同)などの野次が続くうち、被告人Aが「バックペイを出す方向で、これから交渉するということだけでも、この場で約束しよう」などと発言し、これを受けるかのように、約二〇分ぐらい沈黙していた高森社長が口を開き、「会社の方としては、さっきから言ってるように、それはバックペイを出す方向になるかどうかわからないにしても・・バックペイを出す方向ということであれば、それで鋭意検討してみるということだけは言えます」などと柔軟な態度を示し始めた。その後、労組側と高森社長との間で右発言の趣旨などをめぐるやり取りとなり、途中、同社長が、「当然そういう協議をするということになれば、出すという方向で協議をせざるを得ない」としつつも「(会社側の協議の結果によっては)その後の結論は、どうなるかわからない」などと答えることもあったため、その都度、労組側委員を含め支援者らの野次・怒号などで騒然とすることもあったけれども、しかし、被告人Aが、「会社の方で最終的に検討してみなきゃわからないと言うんだったら、それを組合は認めよう・・この場で社長という立場において、組合と次回の団交で話をするときには、バックペイを払うということでほかの会社の責任者を含めて社長として説得するからという形で約束しようよ」、「どういう方向で検討するのか、どういう中味の結論を出せる方向で検討するのか、最底この場できちんと約束しようよ」、「(高森社長の右の『その後の結論は、どうなるかわからない』旨の発言に)社長、争議を抜本的に解決しようというときに、そのバックペイの問題で、今一つの分かれ目にきてるわけだ。これが一〇年戦争になるか、百年戦争になるか、あるいは二、三日中に片付くのか、その最終的な会社の判断を、社長がきちんと腹を据えてしないで、誰がするんですか」などと話し、午後一〇時一〇分前後ころまでに、高森社長が、「とにかくその方向(バックペイを払う方向)ですすむ」、「会社の方としては、さっきからあなた方の方の意見を聞いて、解決するには、バックペイを払うという方法しかないとあなた方が言ってるわけだから、その方向で僕は当然(会社側の)みんなとよく話し合う」とする回答に対し、被告人Aが、「それは約束しますね」などと言い、支援者の一部から、他の会社側委員の意見を確かめようとの発言が出たものの、それ以上にバックペイ問題について、他の会社側委員の意見を尋ねたり、その具体的な支払額などについて労組側からの質問などはなく、「会社側がバックペイを支払う方向で検討する」との程度で、解決案の次の項目に移った。
その際、高森社長から、「今日はちょっともう」などと団交続行について難色を示されたけれども、これに対し、被告人Bが、「もうちょっとはっきりすればいいんですよ」などと言ったほか、一部の支援者らが、「まだまだ、まだ第三項目だよ、これからだよ」(支援者)、「第四もある、第四も、ガードマンもある・・」(被告人K)、「全面解決にきたんだろ」(支援者)などの発言をし、被告人Aも、解決案4以下を順次読み上げ、これらの協議と次回団交の日時を決めて当日の団交を終了することを求めた。これに対し、二、三分沈黙を続けていた高森社長も、労組側に促されて、解決案4の項目から順次回答を始めた。
なお、当日の三鷹労政事務所の講堂の使用時間は午後九時までであったところ、会場係担当の秋山書記長が午後九時前ころ、当番の柳田職員に使用時間の延長を申し入れ、団交の具体的な進展状況を説明して、使用延長の了承を得た。
7 午後一〇時すぎころから午後一一時前後ころまでの状況
(1) 前示の経緯を経て、労組側に促されて回答を始めた高森社長は、解決案4の項目から順次会社側の見解を示し、被告人Aら労組側委員を中心に協議を始めた。
まず、解決案4の問題につき、高森社長は、「就労の段階になれば、ロックアウトを解除することは当然である。三メートルの鉄塀・見張り台の除去については、『解除にあたって』というよりも、『全面解除したとき』には、取り除くべきものは、取り除くように考えている」旨回答したが、しかし、特防から守衛(警備員を指す。以下同じ)になった社員を社外に追放する件について、特防から守衛になった人はいないなどと意識的に虚偽の回答をし、某守衛が前記警備会社(特防)ガードマンから登用されたことについて確証をえていた労組側から、右の発言を追及されたうえ、同守衛を撮影した写真を示されても、写真の人物が同守衛であることを否定し、さらに、仮に特防から社員になった者がいるとすれば配置転換などを考慮するとしたことから、これに反発した労組側から、再三にわたり、右写真の人物が問題となっている守衛であることの確認を求められ、同人から毒性スプレーをかけられたとする被告人Aらとの間で、しばらく押し問答を続け、右守衛と同じ教育社・東村山本社に勤務する柿沼工場長も、「はっきりと確証はできない」などと答えたことから、野次・怒号で紛糾することもあった。
そのため、被告人Aが、事態収拾の意図で、会社側に対し、右写真に撮影されている人物の在職が判明したときには、同人を退職させるよう求めたところ、高森社長から、退職させることは困難であるが、配置転換等の処置はとれる旨の意見が述べられ、労組側が、労使間の争議解決後に前記警備会社のガードマンから登用された守衛・警備員などは不要であり、かえって会社にとってマイナスであると指摘したのに対し、同社長が、「自分は特防からきた社員は知らない」、「特防から(社員になった)人はいない」、「追放するというのは無理な言い方じゃないですか」などと答えたため、その折、一部の支援者からの反発の野次などがあったが、午後一〇時三〇分すぎころ、右警備員を退職させる確約はできないとする高森社長に対し、被告人Aが、「原職へ戻った以降、教育社の全社員の目の前に、彼ら(ガードマンから守衛・警備員に登用されたもの)の姿が二度と現れないという形の処置はする。その具体的な処置の仕方は、会社に任せる。結果として、彼らが二度と再び教育社の中に姿を現さないという処置をして下さい」などと提案し、同社長も、「確認ができれば、そういうような、あなた達の前に出ないというようなことになるよう努力してみましょう」などと了承し、解決案4の問題を終えた。
(2) その後、労組側は、被告人Aが解決案5以降の各項目を順次読み上げ、会社側に回答を求め、高森社長がこれに答えていったが、
同社長は、
ア 解決案5の組合事務所の本社内設置問題につき「争議が全面解決すれば考えている」、
イ 同6の解決金問題につき「これはわからない。わからないと言うのは、あなた達の争議解決金とか、さっきのバックペイ問題も出てきたし、また、争議解決金というのは、会社の方は完全にシャットアウトしているわけではないと、始めから言ってる」、
ウ 同7の人事同意約款問題につき「組合三役などについては考慮する余地はある」、
エ 同8の就業時間内における組合活動問題につき「部分的に認める余地はあるが、全面的には駄目である」、
オ 同9の唯一交渉団体約款問題につき「教育社内の労働組合が教育社労組のみであれば当然であり、(『お前らが、二組を作るようなことをしなければ、唯一の組合なんだよ』の支援者の発言に)会社で主体的に第二組合を作ることは考えてみたこともない」、
カ 同10の校正臨時労働者解雇問題につき「これは駄目です。それは地裁でも言ったとおりです」、
キ 同11の謝罪文問題につき「これも以前から言ってるように、ポストノーティスということだから、これは、場合によっては認めると言っている。全面解決ということができれば、そのときの条件として話し合える」
などと回答し、アないしキの各問題の交渉は、合わせて約五分ぐらいの短時間で終わった。
ク 次いで、最後の解決案12の争議期間中の行為の免責問題に移り、被告人Aが、昭和四六年春闘妥結の際、その争議関係の責任は双方とも追及しない旨の事実上の了解事項があったのに、同四七年一月の本件解雇にあたり解雇事由に挙げられたことから、今回の争議解決にあたっては、これの文書化を求める趣旨説明をしたのに対し、高森社長が、「今後将来にわたって(労組側の)違法行為がない限り認め、仮に明らかな違法行為があれば、遡って追及する余地もある」などと答えたことから、労組側委員らとの間で議論の応酬がなされ、支援者らの野次で多少紛糾する場面もあったが、結局、約五分ぐらいの協議ののち、「会社の方としては、全面解決ということであれば、当然こういった(争議期間中の行為について、労使双方とも一切の責任を追及しない)ことも受けていかざるを得ない・・」とする高森社長の発言で、一応の決着をみ、午後一一時前後ころには、解決案をふまえた労使間の協議を終えた。
8 午後一一時前後ころから翌三月二八日午前一時三〇分ころまでの状況
(1) 右協議を終えた直後、労組側は、確認書草案などの作成に取りかかる一方、被告人Aが高森社長ら会社側委員に対し、当日の団交の労使双方の合意点などにつき文章化したい旨申し入れ、これに対し、高森社長から、「この次まで書いてきてもらったらいいじゃないですか、テープレコーダーにみんな入っているでしょう」、「疲れちゃっているからな」などと言ったため、支援者らから反発の声が上がったものの、被告人Aが、「少し時間下さい、お願いします」、「今、確認書をまとめてるから、静かにするから、その間からだを休めてきて下さい」などと再度申し入れるとともに、会社側委員において労組側の準備したいなり寿司などに手をつけていなかったことから、会社側の希望する食事の手配をするなどと尋ねたりした。これに対し、会社側は、とくに食事などの注文の依頼やいなり寿司などを食べることもなく、会社側委員席近くのストーブに行くなどして休憩に入り、その際、確認書草案が一方的に書かれては困るとした辻部長が、労組側委員席まで来て、机の上にあった文書などについて「これなんなの一体」などと問いかけ、被告人Gら労組側委員から労組側で作成した草案を会社側に渡して確認してもらうなどと説明を受け、これを了承する場面もあった。
(2) 労組側は、被告人Aを中心に、当日の交渉の結果をふまえて確認書草案を作成したのち、会社側に右草案を渡し、高森社長を中心に会社側の立場から、右草案の内容に訂正・挿入などの手を入れたうえ、午後一一時三〇分前後ころから、労使間で、これに即して確認書の具体的な詰めに入った。なお、この間、被告人Jら支援者らが会場の清掃などをし、松田(昌泰)室長もほうきなどで会社側委員席付近を掃除する場面もあった。
労組側は被告人Aが、会社側は高森社長が、それぞれ中心となり、解決案1の被解雇者の解雇撤回・原職復帰問題から順次協議を始め、
ア まず、右問題につき、「解決案通り」との労組案に対し、会社側が「1については仮に復帰させ、全面解決するまでは中労委再審査は継続する」と訂正したため、被告人Dから、会社側の「仮に復帰し」との文言に関し、解決案3のバックペイ問題が決着すれば「仮に」というのは不要ではないかなどと意見を述べられ、最初から「仮に復帰させる」との前提で団交をしていたとする高森社長との間で、二、三分間議論がなされたが、合意に達していない事項については両論併記でよいなどとする被告人Eらの発言を受け、労組側・会社側とも双方納得する形で、労使双方の意見を併記することで合意した。
イ 解決案2の非解雇者一九名の組合員の原職復帰問題につき、「2については、認める。但し、ハの件については次回団交において正社員化する具体的月日を会社は提示する」旨の労組案を、会社側が訂正することなく了承した。
ウ 解決案3のバックペイ問題についても、「支払う方向で今後交渉に臨む」旨の労組案に対し、会社側が「全面解決を期し」との文言を挿入したが、労使双方ともその表現に異議などを述べることなく了解した。
エ 次いで、解決案4のロックアウト解除・鉄塀・見張り台除去・特防から守衛になった社員の追放問題などに移り、<1>守衛問題に関し「本日組合が提示した写真をもちかえり同一人物がいた場合には、原職復帰後二度と教育社の中に姿を現さない処理をするようにする」、<2>鉄塀等の除去問題に関し「ロックアウト解除の際、争議全面解決の時点では、組合の解決案の文章通り実施する」旨の労組案に対し、会社側が<1>の最後の「処理をするようにする」とあるのを「処理をするよう努力する」と、<2>につき「実施する」とあるのを「実施していく」と各訂正したところ、<2>の鉄塀除去問題などに関し、被告人Dから、鉄塀等の除去は争議全面解決の条件であるから、「争議全面解決の時点では」の表現では曖昧であるとし除去の時期を具体的に明示すべきであるとの意見が出され、また、解決案3も含め「全面解決」等の文言を挿入した会社側の態度に不満を抱いた支援者から、「バックペイを払うということが全面解決の一つの条件なんだ。そういう条件を抜かして全面解決の暁にはバックペイを払うとか、あるいは全面解決の暁にはロックアウトを解除するとか、逆転しているんじゃないか」などとバックペイの条項の表現をも含めた野次がなされたため、被告人Aが、「蒸し返さないで、もう少し交渉をすすめたいと思います」などと言って、解決案3のバックペイ問題の議論の蒸し返しを制止し、<1>の守衛問題についても会社側の訂正の方向でまとようとした。
しかし、<1>の点に関し「(社員の問題は)他人事だから、そんなものは、するということをここで言明できません」、「他人事というのは、人の問題であるから、最大限努力するということです」などといった高森社長の言葉尻をとらえた支援者らから、「経営者として、責任を果たせと言ってるんだ。居直ったら、俺達が行ってやるって言ってんじゃないか」(被告人K)、「解決の条件なんだよ、あの排除というのは、お前が全面解決目指すだったなら、あれは排除しなければいけないんだよ」(同)などの野次が散発的になされ、その一方、被告人A、同Dらが、労組側委員間ないし高森社長ら会社側委員との間で、表現問題などで打ち合せ、さらに訂正した確認書草案などをやりとりし、その後、鉄塀除去の問題も含めロックアウト解除の時期が「争議全面解決の時または争議解決後」か(会社側)、「ロックアウト解除が争議全面解決の前提条件」か(労組側)で、主に、被告人Dと高森社長との間で議論となり、ロックアウトの解除時期が曖昧であるとする一部労組側委員・支援者らから、再度高森社長に対し、ロックアウトの即時解除を求めるうち、「何でいま、ロックアウトしている必然性があるんだよ」(被告人L)などの野次も飛び出したりしたため、同社長から、「待って下さいよ。今、委員長とやっているんだから」などと発言がなされる場面もあった。その後も一部労組側委員・支援者から同様の追及がなされ、「何かまぎらわそうとしているんだな、この野郎」(被告人K)などといった野次や、机をぶつけて大きな音を立てながら、「我慢するにもほどがあるぞ、この野郎。いい加減にしろよ・・こっちだって我慢するにも限界があるんだからな」などの野次のほか、ガードマンから暴行を受けたことなどに対する怒りの野次・怒号が飛んだ。
その間、被告人Aら労組側委員は、高森社長ら会社側委員と協議し、確認書をとりまとめるべく、表現などを何回か訂正したのち、結局、一部の労組側委員・支援者らの要求する鉄塀除去等の問題を含むロックアウトの即時解除ないし解除時期の明示などに触れることなく、別紙(二)下段の確認書4のとおり「4については、認める方向で全面解決をはかる。但し、『特防・・・・』云々については、本日組合が提示した写真をもちかえり、同一人物がいた場合には原職復帰後二度と教育社の中に姿を現さない処理をするよう努力する」の表現でまとめることを提示し、会社側もこれに了承し、約三〇分ぐらいかけて右の解決案4のロックアウト解除等の問題を終えた。
オ 引き続き、解決案5の組合事務所問題に移り、「認める」旨の労組案に対し、会社側が「5については、全面解決が実った場合認めていく」と訂正したところ、前同様、労組側の要求を認めることが全面解決の条件であるとする一部の労組側委員・支援者らから、会社案に不満が述べられ、被告人Aが、当初、これに同調したのち、「5については、認める。(ただ)、具体的に組合事務所として使えるのは、全面解決した時点以降である」旨の妥協案を提示し、高森社長も、「場所の問題もあるから、直ちにということではないですよ」などとしつつも、これに同調し、まとまりかけた。
しかし、一部労組側委員の中から、なお、右表現につき不満が述べられ、労組側委員内部で打ち合せをするなどの場面を経て、再度、前同様の「全面解決」の趣旨・必要性などにつき、支援者らから組合事務所を認めることが争議全面解決の前提条件であるとの意見も述べられ、労組側委員もこれに同調し、一時紛糾する場面もあったけれども、高森社長も、「それだったら、こっちでも最初から言っているんだから、『認める方向でいく』にしておいて下さい」などと答え、一部労組側委員・支援者らから、「方向」という文言に関し不満が述べられたものの、被告人Aが、確認書5のとおり、高森社長の右文言で「認める方向でいく」という表現でまとめ、約七分前後で解決案5の問題を終えた。
カ 解決案6の解決金問題について、「支払う方向で今後交渉に臨む」旨の労組案に対し、会社側が「全面解決を期すため」という文言を挿入したところ、一部の労組側委員から会社側の訂正に不満の発言がなされたけれども、これを制するかのように、被告人Aが、会社案にしたがった表現で労使双方の承諾を取り付けて、簡単にまとめた。
キ 解決案7の人事同意約款・同8の就業時間内の組合活動問題につき、まず、同7に関し「認める方向で交渉に臨む。組合の方から具体的な中味を次回団交で提出する」旨の労組案に対し、会社側が「部分的に」との文言を挿入したところ、被告人Kから、「基本的にだろう、お前、部分的てどういうことよ」などの発言もあったが、被告人Aが、右カと同様会社側の追加を認める形で取りまとめ、次に、解決案8についても、「認める。但し、次回団交までに組合の方から具体的な内容を提示する」との労組案に対し、「部分的に認めるとの方針である」との会社側の訂正を労組側が受け入れる形で簡単にまとめた。
ク しかし、解決案9の唯一交渉団体約款について、「認める」旨の労組案に対し、会社側が「他に教育社内に組合がない場合認める」と訂正したため、被告人Aを含め労組側委員は、単に「認める」旨の表現を求め、将来、第二組合ができる可能性もあることを指摘する辻部長、高森社長らとの間で押し問答になり、そのうち、同社長らに対する不信感から会社側が第二組合設立を図るのではないかとの疑念を抱いた支援者・労組側委員が、これを全面的に否定する高森社長らを追及し、その後も、第二組合ができても同組合と教育社労組との問題であるとする労組側と、会社側が第二組合を設立させる意図はないと否定しつつも、「現時点では」、「現状では」などの文言の追加を求める会社側とで約二〇分ぐらいやり取りを続け、その際、支援者から、「何が現状だ」、「余り挑発するんじゃないよ」などの罵声・野次などが飛ぶこともあったけれども、議論が平行線のまま進展しなかったため、被告人Aが、この問題を次回団交の協議事項とし当日の団交の結論を「保留」とすることを提案し、高森社長もこれを了承した。
ケ その後、解決案10の校正臨労被解雇者撤回問題につき、「組合で検討して次回団交に臨む」旨の労組案に対し、「認めない」との会社案の両論併記とし、同11謝罪文掲示問題については、「掲示する用意がある」旨の労組案に対し、会社側が「全面解決に合意すればその段階で考慮する」と訂正し、これを認める形で、それぞれ簡単に終えた。
コ 解決案12の免責問題についても、会社側が「全面解決の場合に認める」旨主張したが、解決案12の表現自体に既に「争議解決後」という文言が入っていることから、これを受けて高森社長も「認める」という表現で了解し、翌二八日午前一時ころまでには、確認書の文言に関する協議を終えた。
その後、次回団交の日時・場所などの協議を始め、高森社長の予定・都合ないし交通ストライキの関係で、次回団交期日を同月三一日(水曜日)午後と決めたのち、同社長が、「こういう状態じゃ困りますよ」などと、公開団交によることなどに異議を述べたため、支援者が、机を叩きながら「何が困るんだ」などと野次を入れたものの、さほど紛糾することなく、被告人Aが、「場所としては、この間何度も組合の方は繰り返し言ってきたけど、本社でやって欲しい」などと要望し、高森社長が「よく検討しますから、月曜日に、本社に電話くれませんか」などと言い、結局、次回団交は、教育社・東村山本社で行うことを前提に、具体的な時間・場所などについては、同月二九日午後五時までに会社側から労組側に連絡することになった。
(3) 右の協議結果に基づき、被告人Eにおいて、カーボン紙などで複写するなどして清書した確認書二通につき、被告人Aが労組側を、高森社長が会社側を、それぞれ代表して署名をし、さらに、高森社長が確認書二通の末尾にそれぞれ「小職の考えは、公開団交について止むを得ない状況があると答えます」と、「小職の考えは、公開団交について止むを得ない状況があると考えます」と各記入したが、とくに意識的に右文言を書き分けたものではなかった。
右のように署名を終え、確認書一通ずつを会社側・労組側で保管し、同日(二八日)午前一時三〇分ころ、第六回団交を終了した。
(4) 会社側委員は、その後、団交会場である本件講堂を出て、三鷹警察署付近の路上に待たせていた会社専用車とタクシーに分乗し、杉並区内の志村ビルに戻り、食事をとるなどして解散したが、既に深夜であったことから、会社側委員の間で、当日の団交・確認書の内容などにつき、深い議論・協議が行われたことはなく、ただ、そのころ、教育社・東村山本社で待機していた桜田部長に電話で団交が終了した旨の連絡をした。
他方、労組側委員・教育社労組員及び支援者らもそれぞれ、会場から引き揚げた。
(5) 事実認定上の問題点(略)
9 他の関係者の動向
(1) 同二七日午後から、当番として三鷹労政事務所の事務室などで執務していた柳田職員は、午後二時一五分ころ、事務室受付前の玄関を大勢の人の入って行くのを見るなどし、そのころ、公開団交が始まったことを知ったが、講堂の使用人員が一〇〇名となっていたことや、以前にも、中小企業労使の労政事務所における公開団交を自ら扱ったことがあって、とくに違和感がなかったことから、公開団交の中止を勧告するなどの仲介の措置をとることは全くなく、その後、トイレに行った折に、団交会場の講堂内の状況を見たりし、また、使用時間の延長後である午後九時以降、管理上の問題などから、度々会場の講堂に出向き、団交の進展状況を見ることもあったが、その際、会社側がかなり追及されているという程度の印象をもったけれども、会社側委員の身体・自由に具体的な危害が及びかねない雰囲気・状況とまでの危惧はもたなかった。
(2) 教育社・東村山本社で待機していた桜田部長は、午後七時ころ、団交終了の予定時刻から相当経つのに、高森社長らから団交終了の連絡がなかったことから、団交の状況などを確かめるため、午後七時ころ、三鷹労政事務所事務室に電話連絡をし、応対に出た者から、「今、話し合い中です」などと伝えられ、支援者らも交えた公開団交が行われているとまでは考えず、労組側委員との間での団交が長引いているものと思って電話を切り、その後も、連絡がなかったことから、午後九時ころ、再度同事務所に電話したものの、誰も出なかったので、既に当日の団交は終了し、そのうち同社長らからの連絡があるものと考え、それ以上に他の連絡を取るようなことはしなかったが、翌二八日午前零時を過ぎても連絡がなかったことから、教育社労組員宅や三鷹市周辺に居住していた会社関係者・下請け会社関係者らに電話連絡などをするうち、前示のとおり、会社側委員から団交が終了した旨の連絡を受けた。
なお、当日、第六回団交終了まで、三鷹警察署付近で待機していた社長専属の運転手から、桜田部長に対し、団交が長引いているなどの連絡は一切なかった。
三 監禁・強要の構成要件該当性
(一) 本件公開団交の労働法上の評価
弁護人は、「第六回団交において、本件の公開団交に移行した直後から、高森社長が自らマイクを使用して会社側の意見を披瀝していること等で明らかなように、会社側は、公開団交の形態による交渉を任意に応じた」旨主張するので、監禁・強要の構成要件該当性などを判断する前提として必要な限度で、本件公開団交の労働法上の評価について検討する。
憲法二八条・労働組合法が保障する「団体交渉」とは、労働組合など労働者の団結体が労働条件の維持・改善、その他労働者の経済的地位の向上を図ることを目的とし、使用者またはその団体との間で団結の力を背景に平和的手段による代表者を通しての統一的交渉であるから、本件のように、交渉担当者たる交渉委員以外の組合員ないし支援者らが参加・傍聴し、あるいは交渉委員以外の参加者が発言をする形態での交渉は、原則として、憲法二八条・労働組合法が保障する「団体交渉」の範囲外のものであり、たとえば、労使間において、従前から交渉委員以外の傍聴・発言を黙認ないし慣行・協約化していたとか、事前ないし当該交渉の席上において、使用者側が交渉委員以外の傍聴・発言などを任意に承諾し、あるいは事柄の性質上関係者の傍聴・発言などを必要とし、これを労使双方で承認したなどといった、特別の事情のない限り、労働組合側が、公開団交や交渉委員以外の組合員・支援者らの傍聴を一方的に要求したり、他の組合員・支援者らが大勢で交渉会場に押しかけるような場合には、平穏な団体交渉の進行が阻害され、あるいは、正常な団体交渉を期待し得ないとして、使用者側が団体交渉を拒否しても不当労働行為には当たらず、場合によっては、そのような交渉自体、労働法上、正当な団体交渉権の行使に該当しないと評価されることもあると、一般的に、解されている。
これを、本件についてみると、昭和四六年ころの教育社内では、春闘時に、旧武蔵野本社二階編集室で高森社長と組合員・非組合員ら会社側従業員一〇〇名ぐらいとの間の公開団交が数回開かれたほか、同年秋にも、コンピューター室勤務の組合員に対する不当労働行為問題、被告人Fに対する譴責処分問題などが生じた際、組合員ら三〇ないし六〇名が参加しての、労組側と同社長ら会社側との間の交渉が数回持たれることもあった(ただし、いずれも、高森社長の、事前もしくは現場における承諾があった)こと、第六回団交の開かれた昭和五一年前後ころ、三多摩地区を含む都内の中小の会社・事業所などを中心に、本件と同様の当該組合員以外の支援者らを含めての公開団交が開かれることも稀ではなく、教育社労組員らも他組合の公開団交に参加したことがあり、たとえば、昭和五〇年四月一五日・同月二四日に立川市内の東京都立川労政事務所で開催された被告人Lの解雇撤回をめぐる私立工業高校の理事者側を使用者側とする支援者を含めての公開団交には、同Aも労組側交渉委員として出席したことが、関係各証拠により認められる。
しかし、右の昭和四六年当時の教育社内における団交の参加者は、同社従業員に限られていたこと、本件解雇撤回闘争等を支援するため、三多摩地区労働組合協議会の指導を得て教育社労組支援共闘会議が結成されたのちである昭和四七年一二月、労組側から、被解雇者問題など一一項目についての東村山本社における全組合員及び前記支援共闘会議のメンバーらを交渉人員とする五時間ぐらいの団交要求に対し、会社側から交渉人員・時間及び交渉事項の縮小を条件にされるなどして、団交を開くことができなかったこと、昭和五一年三月八日に労使間で取り交わされた「団交に関する合意事項書」では、団交の参加人員・メンバーなどに関し「人数については、第一回は組合側一〇名、会社側は社長・桜田(総務部長)・松田(惇)の三名と、それに辻(教育部長)・尾上(出版部長)が加わることもある」とされ、現に、第一回ないし第五回団交における団交参加者は、労組側一〇名前後、会社側は多少変動があったものの、いずれも高森社長ほか部長ないし室長クラスの会社幹部四、五名が出席し、右の団交継続過程で、同社長が労組側の団交メンバーの人数の制限を求める意向を示すこともあったこと、教育社労組は、第六回団交の中途から公開団交に切り替える旨を事前に決め、支援の関係組合・団体に公開団交への動員要請などをしたものの、会社側にはその旨の事前通知をせず、他方、会社側は、第六回団交の中途から公開団交の形式で行われること自体全く想定していなかったことに照らすと、教育社の労使間において、教育社従業員以外の支援者らをも含めた公開団交が黙認ないし慣行・協約化していたとはいえないし、会社側が、第六回団交の中途から労組側の交渉委員以外の教育社労組員・支援者らを含めた公開団交の形態ですすめることを事前に承諾していなかったことも明らかである。
そして、前述のような、当日の公開団交移行時の会社側の対応、その後の会社側の対応を含む交渉の進展状況、とくに、会社側は、支援者らの入室直後から、これに抗議し、支援者らの退出を求める態度を示したのに対し、労組側は、公開団交に応じるように要求するとともに、七名ぐらいの支援者らが、退場しようとして立ち上がりかけ、ないし、立ち上がった会社側委員四名に対し、それぞれの腕、肩などに手をかけるなどして着席させていること、会社側は、午後四時前ころ、団交の終了時刻を問いただし、その後も一一時ころまでの間、数回にわたり、明示的ないし黙示的に当日の団交の打ち切りを求め(前記二の(三)の3の(3)高森発言、同4の(3)辻・尾上・松田(昌泰)各発言、同4の(4)尾上・高森各発言、同6の(2)ないし(4)高森発言、同8の(1)高森発言)、その都度、労組側が交渉の継続を要求し、これに呼応して支援者らの反発の野次・怒号などで騒然としたこともあり、さらに、会社側委員の発言の中には、公開団交の形態に強い嫌悪感を示す発言もあったこと(同4の(4)尾上発言)に照らすと、支援者らの入室時に、会社側委員が席を立つなどして混乱した場面が短時間であったこと、公開団交移行後間もなく、高森社長ら会社側委員が労組側の提示した解決案に回答・発言していることをとらえて、同社長ら会社側委員が交渉の成り行き上、やむなく、これに応じたと評価する余地はあるとしても、それ以上に、同社長ら会社側委員が、公開団交移行時ないしは公開団交の中途で、当日の団交を公開団交の形態ですすめることを任意に承諾したとまでいうことはできない(なお、このことが、直ちに監禁・強要罪を構成するものでなく、具体的な犯罪の構成要件該当性などが認められるか否かは、全体的な場面を通しての交渉状況・言動などをもふまえて、総合的に判断する必要のあることは、いうまでもないところである)。
なお、弁護人は、「当日の公開団交に参加した支援者らが教育社労組から団体交渉権の委任を受けていた」旨主張し、当日の団交途中での支援者らの発言の中には、これに副う発言部分もあるが(労組側テープ四巻A面参照・前記二の(三)の4の(3))、会社側委員らに対する関係において、当日の団交に出席した支援者らも、団体交渉の権限を有するに至ったことを法的に主張できるような事実を認めることはできない。
(二) 監禁罪の成否
1 一般的に、監禁罪が成立するためには、暴行・脅迫、その他の手段を含め、これらにより、人が一定の区域から脱出することを不可能または著しく困難にする程度にまで至っていることが必要であるところ、本件については、前記第一の二の「本件公開団交の経緯・状況」における認定事実のうち、これに関連するものとして、次の事実が問題となる。すなわち、
(1) 会社側は、労組側が計画した、第六回団交の中途から公開団交に切り替えるような事態を全く想定していなかったこと((一)の1、(三)の2の(1))、
(2) 労組側は、公開団交への移行に抗議した会社側に対し、公開団交に応じるよう強く求め、マスクをした支援者七名ぐらいが、退出しようとして席を立ち上がりかけ、ないし、立ち上がった会社側委員四名に対し、その背後から、それぞれの腕、肩を押さえて椅子に着席させるなどの暴行を加えたこと((三)の2の(1))、
(3) 公開団交移行後しばらくの間、マスクをした支援者七名ぐらいが、会社側委員席の左右背後、会社側委員席左横及び右方のストーブ付近に置かれた椅子に着席するなどして、事実上、他の支援者らを含め、会社側委員を取り囲む形となり、当初七〇名前後であった労組側交渉委員以外の支援者・教育社労組員の人数も、午後五時すぎごろには、一〇〇名前後に達していたこと((三)の2の(1)、同4の(5))、
(4) 公開団交移行後の過程で、ロックアウト解除時期の明示問題、嘱託の正社員化問題などで紛糾したほか、とくに、午後四時前後ころから午後一〇時すぎころまでの約六時間(会社側の小会議室での協議時間を含む)にわたってなされたバックペイ問題の交渉・協議の状況は、会社側と労組側の見解が全面的に対立したままであったとはいえ、支援者の発言・野次・怒号などが重なる形で進行し、一部の支援者らの野次・発言の中には、判示の脅迫を始め、高森社長ら会社側委員を揶揄・面罵・怒号するものも多数含まれ、机を叩いての抗議のほか、ときには、会社側委員席近くに座っていた支援者らが、机を会社側委員の机にぶつけて、大きな音を立てながら抗議・怒号することも数回あったこと((三)の3の(1)・(2)、同4の(1)ないし(5)、同6の(1)ないし(4))、
(5) 会社側が、当日の午後四時前ころから午後一一時すぎころまでの間に、解決案の一項目の協議を終えたとき、ないしは、交渉・議論が膠着状態に陥ったなどの場面で、数回にわたり、交渉時間の点を問題にしたり、明示的ないし黙示的に当日の団交の打ち切りを求めたのに対し、その都度、労組側が、交渉の継続などを要求し、これに呼応した支援者らの反発の野次・怒号などで騒然とすることもあったこと((三)の3の(3)、同4の(3)・(4)、同6の(2)ないし(4))、
(6) 会社側委員らは、多数の支援者及び同人らの野次・怒号のなされるもとでの公開団交に対し、強い嫌悪・屈辱感を抱き、午後七時三〇分すぎころからの小会議室での協議の際には、脱出ないし退出の点も、多少の話題となったこと((三)の5の(2)のウ)、
(7) 公開団交に移行してから団交が終了するまでに、途中一時間ぐらいの小会議室での協議時間を含め、約一一時間有余かかっていることなどの事実があげられる。
2 しかし、他面、前記第一の二の認定事実のなかには、次のような消極的事実も、相当数にのぼっている。すなわち、
(1) 労組側と、会社側との間の、公開団交移行後における交渉の推移・状況、確認書作成作業、労使間で合意された確認書の内容、被告人Aを中心とする労組側委員の発言内容・態度などに照らすと、労組側において、会社側に対し、当日提示した解決案を一方的に受諾させる意図があったわけではなく、公開団交による交渉を計画・実行した点が、労働法上、適法な団体交渉といえるかが問題になるとしても、このことにより、直ちに、監禁・強要の事前共謀ないし現場共謀の成立を推認させるものではないこと((一)の3のイ)、
(2) 支援者らが入室した直後の、会社側委員に対する暴行は、判示の程度のものであって、多衆の威力を背景としつつも、検察官が監禁の手段として主張するような、強度の暴行・脅迫の事実はなく((三)の2の(2)のイないしエ)、かえって、公開団交に移行後間もなくの、マイクを使用しての高森社長の発言内容・態度((三)の2の(1))などからすると、公開団交への移行時ないしその後しばらくの間は、前記の共同暴行などによる会社側委員らの畏怖の程度が、それほど強いものではなかったこと、
(3) 前記三の(二)の1の(3)のように、支援者らの着席位置などから、労組・支援者らが、事実上、会社側委員を取り囲む形になったことはあるが、検察官が監禁の手段として主張するような、「会社側委員らの用便の際の監視・見張り」、「(会社側委員らの用便の際の)外部との電話連絡の妨害」、「会社側委員らの小会議室での協議の際、廊下、窓外に見張人を置いた」との各事実を認めるのは困難であり、((三)の4の(6)のア、同5の(2)のイ。なお、安東室長が三鷹労政事務所正門横の公衆電話ボックスから電話をした際の状況につき、(三)の4の(6)のイ)、また、当日の団交終了までの間に、労組側委員はもとより、支援者らが、会社側委員に対し、(判示の公開団交移行時の暴行を除き)暴行に及んだことは一切なく、ほかに、有形的・物理的な手段・方法により、監禁ないし脱出・退出を阻止するような行為・措置をした形跡はないこと、
(4) 前記三の(二)の1の(4)の、約六時間にわたってなされたバックペイ問題の交渉・協議の状況につき、判示の脅迫を始めとする、前述のような、数々の問題があったことは否定できないけれども、その契機は、会社側が労組側の要求に対決姿勢を示し、都労委命令で本件解雇が不当労働行為であると認定されているのに、会社側委員が解雇に至った経緯を含め、これが正当であることを固執する発言・回答をしたことに反発・憤激してのものであって、そのなかには、解雇撤回闘争中のガードマン問題を含む会社側のロックアウト態勢、教育社労組員らの生活状態などといった、切実な背景事情を織り込んでの発言・野次も少なからずあり、また、その発言形態は、脅迫的言動などによる著しい喧騒状態が、長時間、連続していたものでなく、さらに、労組側委員のバックペイ問題に関する発言・交渉態度は、一部の粗野な発言・野次などを除けば、とりたてて、脅迫的言動と目されるものはなく、とくに、当日の労組側の代表として進行・まとめ役に当たっていた被告人Aの発言・交渉態度の中には、強い口調で発言・追及する場面もあったけれども、全体的に、粗野な態度は見受けられず、労組側の立場からの、争議解決に向けての説得口調の発言で終始し、他の労組側委員の中にも、労使間で膠着場面に陥った際、柔軟な発言をする者もいたこと((三)の4の(1)・(2)・(4)、同6の(1)ないし(4))、
(5) 高森社長ら会社側委員が、当時三鷹労政事務所の職員を具体的に認識していたかは不明であるとはいえ、会社側が小会議室で協議した際、同事務所職員または教育社・東村山本社で待機していた桜田部長などへの連絡・通報することを話題にしたことはなく、脱出ないし退出の点につき、時間をかけた深刻な協議があったとまでは認められず((三)の5の(2)のウ)、それ以上に、会社側委員らが本件講堂ないし小会議室から脱出しようとする具体的な行動をとったりしたことは、一切、なかったこと、
(6) 公開団交に移行してから団交が終了するまでの間の、約一一時間有余のうち、バックペイ問題の交渉・協議で約六時間を要しているところ、その交渉結果は、前記のとおり、「会社側がバックペイを支払う方向で検討する」という程度の、会社側の回答の線でとどまっており、労組側も、それ以上追及することなく、了承していること((三)の6の(4))、
(7) バックペイ問題の協議を終えたのち、午後一〇時すぎからの解決案4から同12までの協議の際には、守衛問題及び争議期間中の免責問題を除き、労組側は、自己らの主張・要求に、あくまで、固執したことはなく、解決案に異議ないし修正を求める会社側の回答を確認書草案にとり入れ、いずれも短時間でまとめ、また、右の守衛問題は、会社側の意識的な問題回避の態度が、事態を混迷・紛糾させる原因をなし、同様に、右免責問題についても、高森社長が、場合によっては、将来、遡及して責任を追及する余地もあるなどと、蒸し返しのような回答をしたことに端を発していること((三)の7の(1)・(2))、
(8) 解決案に則した労使の協議結果をふまえて、労組側が確認書草案を作成し、これを高森社長を中心に会社側の立場から加筆・訂正して手を入れたうえ、午後一一時三〇分ころから始まった右確認書草案に基づいての労使間の確認書作成作業において、前述のように、双方の間で、紛糾する場面があり(確認書1・3ないし6・12の各事項)、その際、一部の支援者・労組側委員が、解決案の内容・主張に固執したり、同社長らに対する不信感などから、反発の発言・野次に及んだことは否定できないけれども、他方、当時の交渉状況は、確認書をまとめるに当たり、被告人Aを中心とする労組側委員と高森社長らとの間で、右確認書草案に基づき、労使双方で協議・折衝を重ねながら、成文化を急いでいたもので(なお、確認書4・5の各事項については、労組側委員内部でも意見が一致せず、その調整場面もみられる・(三)の8の(2)のエ・オ)、労使間で表現問題などをめぐり紛糾した際、労組側委員から、労使双方の意見の両論併記でよいとする意見(確認書1の事項)が出されたほか、被告人Aも、一部の労組側委員・支援者らの蒸し返しの発言を制止したり(確認書4・6・7の各事項)、妥協案を提示するなどして取りまとめる場面もあり(確認書4・5・9の各事項)、結局、確認書草案に関し会社側が加筆・訂正した部分の大半は、ほとんど修正することなく確認書の条項にまとめられており、また、高森社長が確認書に署名する際にも、労組側・支援者らから、その署名を、強要された形跡は全くないこと((三)の8の(2)のアないしコ、同(3))、
(9) 本件の団交会場となった三鷹労政事務所は、東京都の管理する公共施設であるところ、時折、団交会場内をのぞいていた同事務所職員も、会社側がかなり追及されているという程度の印象をもったけれども、会社側委員の身体・自由に具体的な危害が及びかねない雰囲気・状況とまでの危惧はもたなかったこと((三)の9の(1))、
(10) その他、当日の講堂内の状況(窓等の開閉状況、団交中途で、労組側から、数回にわたり、湯茶・食事の提供がなされ、会社側委員らも、お茶を飲んでいた・(三)の4の(2)・(5)、同6の(3))、第六回団交に出席した会社側委員の人数・年齢((三)の1の(1))、第六回団交開始時から終了時までの間、三鷹警察署前付近の路上で待機していた社長専属の運転手や、教育社・東村山本社に待機していた桜田部長の各動向((三)の9の(2))、団交終了直後の高森社長ら会社側委員の動向(三鷹警察署が近くにあったのに、被害事実の申告・届出などはしていない・(三)の8の(4))
など、会社側委員六名を団交会場である本件講堂ないし小会議室などから、脱出することを不可能または著しく困難にさせ、公開団交・確認書作成を強要する程度の暴行・脅迫があったかについて、強い疑いを抱かせる諸事実があることも、否定できない。
3 右1、2の各事実に照らすと、本件においては、有形的・物理的な手段・方法による監禁を論ずる余地はなく、多衆の威力を背景にしての共同脅迫のほか、証拠上認められる、労組・支援者側の脅迫的言動や、交渉時間、労組・支援者側の人数など、他の状況事実をも総合考察し、無形的・心理的な手段・方法による監禁罪の成否について検討すべきことになるが、高森社長ら会社側委員が、判示の共同暴行・脅迫を始めとする労組・支援者らの言動に、自尊心を傷つけられ、払拭し難い屈辱・畏怖心を抱き、当日の公開団交を早期に打ち切り、団交会場から一刻も早く退出したい旨の意向を有していたことは否定できないけれども、前述のような、公開団交移行後の状況、バックペイ問題に関する交渉の経緯・状況・結果、午後一〇時すぎ以降の労使間における交渉及び確認書作成作業の各状況、当初労組側の提示した解決案の内容と当日の団交において労使間で調印された確認書の内容との対比のほか、当日の被告人Aを中心とする労組側委員とこれに対する高森社長ら会社側委員の各発言内容・交渉態度をも併せて考察すると、判示の共同暴行・脅迫のほか、前記三の(二)の1の(1)・(3)ないし(7)の諸事実などにより、高森社長ら会社側委員が、団交会場である本件講堂・小会議室などにおいて、ある程度の、公開団交に拘束されるような心理的負担を受けた点はともかく、同所から脱出することが不可能または著しく困難な、客観的状況に置かれていたとまで認定するには、合理的な疑いが残るといわざるを得ない。
(三) 強要罪の成否
検察官は、「高森社長らが、長時間にわたり、被告人ら多数の者達に取り囲まれ、監視されたうえ、暴行・脅迫を受け、身体の自由を奪われた状態で、交渉に応じさせられ、自由意思を制圧された状態で、執拗に確認書への署名を強要された結果、恐怖と疲労困憊の極に達し、確認書へ署名した」旨主張する。
しかし、検察官が強要の手段として主張する公訴事実記載の暴行・脅迫行為は、判示認定の限度で認められるにとどまり、かつ、これらを手段とする監禁は前示のとおり否定されるところ、これが強要の手段として認められるためには、人の意思決定・意思活動の自由に具体的に影響を及ぼす程度にまで至っていたことが必要である。
これを、本件についてみると、まず、判示の、多衆の威力を示し、数人共同しての暴行は、前述のような、右行為に至った経緯、動機・目的、態様・程度、その後の状況・経過、とくに、高森社長ら会社側委員の発言内容・態度などに照らすと、右暴行が、会社側委員の意思決定・意思活動の自由に影響を及ぼす程度にまで至ったものと認めるのは困難である。
次に、判示の、多衆の威力を示し、数人共同しての脅迫についてみると、前記三の(二)の1及び2において、詳細に比較・検討したとおり、公開団交及び確認書作成などを、ことさら、強要する趣旨でなされたことをうかがわせる状況はなく、また、右脅迫行為は、前述の共同暴行と総合しても、会社側委員らの意思決定・意思活動の自由に影響を及ぼす程度にまで至っていたとは認められない。
なお、検察官は、論告において、監禁・強要の罪が認められた相当数の裁判例を引用しているけれども、他方、監禁などの罪が否定されている裁判例もないわけではない(大阪高判昭和五八年五月一〇日・判例時報一〇八八号一五〇頁、福岡高判昭和五七年二月二五日・判例タイムズ四六八号一五七頁、仙台高判昭和四八年一〇月八日・刑裁月報五巻一〇号一三六四頁、東京高判昭和四八年八月一〇日・東高時報二四巻八号一三〇頁、東京高判昭和三六年八月九日・高刑集一四巻六号三九二頁、昭和四二年(わ)第六〇〇号・第六八四号・京都地判昭和五七年一二月一三日・公刊物不登載など)。
そして、監禁罪(刑法二二〇条一項)の法定刑が「三月以上五年以下ノ懲役」、「強要罪(同法二二三条一項)のそれも「三年以下ノ懲役」という、暴行・脅迫の罪より刑期の重い、かつ、罰金刑選択の余地のない厳しい刑罰が規定されていることに鑑みれば、本件の長期間にわたる中小企業の争議行為に関連しての団体交渉が、労政をつかさどる地方官庁の公共施設において開催された際における、判示のような、無形的・心理的手段(脅迫)を主とする所為が、監禁・強要の罪を成立させるに足りる程度のものであるといえるかについて、慎重な検討を要することはいうまでもなく、前記の積極・消極双方の各裁判例における、具体的な事実関係と本件事案との類似点・相違点などを比較対照しても、なお、本件につき、監禁・強要の罪を認定することは困難である。
(四) 暴力行為等処罰ニ関スル法律一条(刑法二〇八条・二二二条一項)にいう、多衆の威力を示し、数人共同しての、暴行・脅迫の罪
1 被告人らが共謀のうえ、「多衆の威力」を背景に、高森社長ら会社側委員六名に対し、「数人共同して」、判示のような暴行・脅迫を加えたことは、関係各証拠により明らかである。
なお、検察官は、「支援者らが『おいこの野郎団交だ座るんだ』などと怒号し、被告人Aら労組側委員が『早く団交を続けろ』、『このままで帰れると思っているのか』と罵声を浴びせるなどして、高森社長らを脅迫した」旨主張するけれども、前示のとおり、右怒号・罵声がなされたことを認めるに足りる証拠はなく、また、関係証拠、とくに、労組側テープ一巻B面により認められる、そのころなされた発言・野次などには(前記二の(三)の2の(1))、乱暴な、粗野にわたる部分も少なからずあって、これを背景に「数人共同して」の暴行が行われている点において、これが「多衆の威力」を構成するものとはいえるけれども、当時の騒然とした状況などを十分考慮しても、右発言・野次そのものが、人を畏怖させる程度の身体・自由に対する害悪の告知を含む脅迫とまでは認められない。
2 弁護士は、判示の各行為が、「いずれも暴行・脅迫に該当しない」旨主張する。確かに、判示の共同暴行は、立ち上がった会社側委員四名を着席させるため、七名ぐらいの支援者らが右会社側委員四名の背後からそれぞれの腕、肩を抑えて椅子に座らせたというものであって、その程度・態様それ自体は、比較的軽い、短時間(一分以内)にとどまるものであることは否定できない。しかし、右行為は、「何が約束違反なんだ」、「団交を拒否するのか」、「座れ」、「座るんだ」などといった、公開団交に応じることを求める発言・怒号などにより喧騒にわたる場面での、多衆の威力を背景にしてなされているもので、右の実力行使に至った経緯、その動機・目的、態様・手段、程度などを考慮しても、人の身体に対する有形力の行使としての暴行に該当し、暴力行為等処罰ニ関スル法律一条(刑法二〇八条)でいう、多衆の威力を示し、数人共同しての暴行の罪の構成要件該当性は、否定できない。
また、判示の、数人共同しての脅迫の点は、労組側の提示した解決案、とくに、バックペイ問題を全面的に拒否する会社側の回答、ないし、解雇の正当性を前提にした会社側委員のやや挑発的な発言などに反発・憤激し、判示のような言動に及んだものであって、労組側の解決案に則した会社側の回答・対応を促すためになされた面はあるけれども、第六回団交における会社側の回答、とくに、都労委命令を不服として中労委に対し再審査請求の手続をしていた会社側の立場からすると、都労委命令で棄却されているバックペイの支払について拒否の回答を続けたことをもって、直ちに、不誠実な態度とはいえないし、右各言動が、バックペイ問題などの具体的回答を求める労組側に呼応した、支援者らの野次・怒号による紛糾・喧騒にわたる場面での、多衆の威力を背景にしてなされているもので、右各言動に至った経緯、その動機・目的、態様・手段、程度、告知された害悪の内容などに照らすと、判示の各言動の内容などが、人を畏怖させるに足りる程度の身体・自由に対する害悪の告知としての脅迫に該当し、暴力行為等処罰ニ関スル法律一条(刑法二二二条一項)でいう、多衆の威力を示し、数人共同しての脅迫の罪の構成要件に該当することは明らかである。
(五) 暴力行為等処罰ニ関スル法律違反の罪を認定した理由
以上によれば、本件監禁・強要の点は、結局、犯罪の証明がないことになる。しかし、一般的に、監禁の手段として行われた暴力行為等処罰ニ関スル法律一条(刑法二〇八条・二二二条一項)所定の暴行・脅迫は、監禁罪に吸収され、それと別個に暴力行為等処罰ニ関スル法律違反の罪を構成するものではなく(最一決昭和四二年四月二七日・刑集二一巻三号四七〇頁)、同様に、強要の手段として行われた暴力行為等処罰ニ関スル法律一条所定の暴行・脅迫も、強要罪に吸収され、それと別個に暴力行為等処罰ニ関スル法律違反の罪を構成するものではないところ(大判昭和一七年三月二八日・法律新聞四七七四号二一頁)、逆に、暴力行為等処罰ニ関スル法律一条(刑法二〇八条・二二二条一項)所定の、多衆の威力を示し、数人共同しての暴行・脅迫の事実は認められるけれども、その程度が、監禁罪でいう、人の脱出を不可能または著しく困難ならしめる程度までには至らず、かつ、強要罪でいう、人の意思決定・意思活動の自由に影響を及ぼす程度までに至っていないとして監禁・強要罪が否定される場合には、実体法上、暴力行為等処罰ニ関スル法律一条の罪が成立するという関係にある。また、訴訟法上も、本件の監禁・強要の公訴事実中の訴因には、暴力行為等処罰ニ関スル法律一条(刑法二〇八条・二二二条一項)にいう、多衆の威力を示し、数人共同しての暴行・脅迫の訴因が含まれており、その犯罪構成要件は部分的に重複し、前記の実体法上の関係に徴すると、訴因の変更手続を経ることなく、暴力行為等処罰ニ関スル法律一条(刑法二〇八条・二二二条一項)の罪を認定することも許容されるところである(このことは、もとより、被告人らの防御権を侵害する、不意打ちの問題にもならない)。
以上の理由により、本件の監禁・強要の公訴事実に関しては、多衆の威力を示し、数人共同しての暴行・脅迫の事実は認められるけれども、これらが人の脱出を不可能または著しく困難ならしめ、かつ、人の意思決定・意思活動の自由に影響を及ぼす程度に至っているとまでは認められないので、判示のとおり、暴力行為等処罰ニ関スル法律一条(刑法二〇八条・二二二条一項)にいう、多衆の威力を示し、数人共同しての暴行・脅迫の罪を認定した(いわゆる縮小認定にとどまるので、監禁・強要の点につき、とくに、主文において、無罪の言渡をしない)。
四 違法性阻却の主張に対する判断
弁護人は、「本件労使紛争の背景、本件に至った経緯、とくに、労組側が、本件解雇は不当労働行為であり、無効であると明確に認定した都労委命令をふまえ就労請求をしたのに対し、会社側が、違法ロックアウトを継続するなどし、さらに、昭和五一年三月九日からの五回にわたる団交においても、解雇が不当労働行為であるとの点を徹底的に争って、自らの非を認めず、原職復帰の件も交渉妥結後からとの回答に固執するなどした、会社側の不誠実な対応・態度を背景に、第六回団交が開催されたものであって、その目的は、本件解雇に端を発する争議の全面解決にあり、その交渉事項も、解雇撤回・バックペイの支払を中心とする、いずれも使用者側において解決可能な事項であって、不当な要求は全くないし、公開団交を導入したことについても、公開団交に移行した直後から、高森社長がマイクを使用して会社側の意見を披瀝するなど、会社側はこれを応諾していたものであって、本件公開団交の目的・動機及び手段・態様は、正当であり、判示の各行為は、争議の全面解決という極めて重要な問題に、会社側委員らが、何ら対応することなく、席を立とうとした際や、その後の交渉過程において、ことさら組合員らを挑発する発言をしたり、合理性のない自らの主張に固執し、誠実な交渉を避けようとしたことに対し、誠実な回答・対応を促すために、やむなく、なされたものであって、いずれも、争議行為としての正当性の範囲を逸脱しているものではないから、労働組合法一条二項・刑法三五条により、違法性が阻却される」旨主張する。
しかし、会社側が、事前はもとより、公開団交移行時ないしその中途においても、公開団交を任意に承諾したものではないことは前記のとおりであるし、本件において、違法性阻却事由の有無の、直接の判断対象となるのは、いうまでもなく、公開団交移行時及び公開団交過程における判示の、被告人らの高森社長ら会社側委員に対する、多衆の威力を示し、数人共同しての暴行・脅迫の正当性の有無であるところ、本件が労働者の組織的集団行動としての争議行為に関連しての、団体交渉に際して行われていることは明らかであるから、右各行為が、団体交渉に際して行われたものであるという事実をも含め、当該行為の具体的状況その他諸般の事情を考慮にいれ、それが法秩序全体の見地から許容されるべきものであるか否かを判定することになる。
これを、本件についてみると、前示の教育社の労務政策、とくに、ガードマンを導入するなどしてのロックアウト態勢、ガードマンによる教育社労組員・支援者らに対する行き過ぎた実力規制の問題、都労委命令以後の労組側の就労請求に対する会社側の対応、労組側の昭和四七年一月以降都労委命令までの約四年有余にわたる解雇撤回闘争、この間の教育社労組員らの生活状態、教育社労組の解雇撤回闘争を支援してきた教育社支援共闘会議の支援活動、これらを背景に、事前に解決案を準備し、第六回団交に臨んだ労組側に対し、会社側が公開団交を拒否して退場しようとする態度を示したことや、労組側の提示した解決案に対する、前述のような、会社側の回答・発言などに照らすと、労組側の立場・心情からみれば、本件公開団交移行時ないし団交過程における判示の各行為に及んだ動機・目的について、斟酌すべき事情が全くないわけではない。
しかし、労組側は、第六回団交の中途から公開団交に切り替える旨を、事前に会社側へ通告することなく、不意打ち的に支援者ら七〇名ぐらいを会場内に導入し、会社側に対し、既成事実を背景に公開団交を迫り、前示の暴行に及んだほか、その後の長時間にわたる公開団交の過程において、支援者らの野次・怒号で喧騒にわたる場面を背景に、判示のような脅迫を重ねたものであって、会社側委員らに与えた精神的苦痛も決して軽いものではなく、さらに、判示の各犯行のいずれについても、このような行動等に及ばなければならなかった緊急性・必要性は認められない。
以上の、判示の各犯行は、その動機・目的、具体的態様・手段・程度などの諸般の事情を総合しても、会社側委員六名の身体的ないし精神的自由・平穏を侵害する「暴力の行使」に該当するものであって、労働組合法一条一項の目的を達成するためにした正当な行為の範囲を逸脱しており、前述のような、労使紛争の経緯、第六回団交に至った経緯、本件各犯行に至った経緯のほか、本件が争議行為に関連しての、団体交渉に際して行われたという点などを十分考慮しても、なお、判示の多衆の威力を示し、数人共同しての暴行・脅迫が、法秩序全体の見地から許容される正当な団体交渉権行使の一環としての行為として、違法性を阻却するとまでは、認められない。
第二三・三一(東村山本社)事件について
一 建造物侵入の動機・目的など
検察官は、「被告人らが、高森社長から確認書無効の通告を受けたことへの報復として、東村山本社構内に侵入し保安施設等を破壊するという構内突入闘争を、午前・午後の二度にわたって企てた」旨主張する。
しかし、関係各証拠を仔細に検討しても、午前及び午後の各構内侵入に先だっての教育社労組員・支援者らの言動に、所論の「報復」を疑わせるものは具体的に現れておらず、構内における「数人共同しての器物損壊」の態様からみても、被告人らが他の共犯者らと共謀して、「保安施設の破壊」をも企てた旨認定することは困難である。すなわち、
論告では、午前中の構内侵入に際し、「氏名不詳の支援者ら四、五名において、警備員室の入口扉の施錠を外して、同室内に入り、モニターテレビの同軸ケーブルを引き抜いた」、「氏名不詳者数名において、印刷工場南西側壁に設置してある赤外線監視装置一基(約五万円相当)及び同所付近にある同工場内カメラ室用の空調装置の動力操作盤内のガラス管入りヒューズ一本(約二〇〇円相当)を竹竿で突いて破壊した」とされているが、被告人らのいずれかが、右のような犯行に加担していたことを疑わせる証拠は皆無で、とくに、後者の「赤外線監視装置等」の件に至っては、会社側関係者ですら、「翌日に分かったこと」というものであって、三月三一日の当日に壊されたものか否かの点さえ明確になっていない。
現に、検察官は、判示第一の二の(二)の建造物損壊の点を、被告人Kほか数名の共謀による事件と構成しており、前記午前中の「警備員室」の件及び午後の構内侵入に際しての、氏名不詳者数名による「防石用ネット支柱の折り曲げ」、「拡声器のコード一本の切断」の件などは、構内に侵入した氏名不詳者らの一部の者らによる偶発的な暴走行為に類する疑いが濃く、これらを、事前ないし現場における被告人らとの共謀に基づく犯行と推認するに足る証拠はない。
なお、道路から組合室への狭い通路の角にあたる部分の塀の波型万能鋼板一枚が取り外されていた点についても、いつ、誰が、何の目的でやったものか全く不明なので、被害物件には入れないことにする。
以上の、被告人らの責めに帰することのできない各器物損壊の点は、いずれも、午前ないし午後における「数人共同しての器物損壊」の訴因の一部を構成していた物件に属するものなので、主文における無罪の言渡はしない。
二 各器物損壊の共同実行行為者らの確定など
会社側関係者らの各証言では、判示第一の二の(一)の(1)(有刺鉄線)・(2)(波型万能鋼板)・(5)(通用門の南京錠等)の器物損壊に関する実行グループ中に被告人らもいたとして、具体的に五名ぐらいの名をあげている部分があるけれども、その余の(一)の(3)(鉄柵)・(4)(中庭の門の南京錠)及び(三)の(1)(中庭・鉄柵門の南京錠)・(2)(正門の南京錠)・(3)(通用門の鎖)については、いずれも、氏名不詳者らの実行行為によるもの、または、実行行為の場面は目撃せず、当日における事後の調査で損壊を知ったものであることがうかがえる。そして、犯行時の現場写真(以下「現場写真」という)により実行行為への関与を推認できる被告人らとしては、僅かに、前記(一)の(1)(有刺鉄線の切断)についての一、二名にとどまっている。
しかし、被告人らは、いずれも、「本社構内で集会を開き、具体的解決に向けた団交要求と確認書の一方的な破棄に対する抗議を行う」目的のもとに、「東村山砦」と異名のある東村山本社の門扉・鉄塀・有刺鉄線・施錠などの備えを承知のうえで、それぞれ建造物侵入の実行行為に加担したものであり、前記の(一)の(1)ないし(5)及び(三)の(1)・(2)・(3)のような、有刺鉄線・波型万能鋼板の塀・鉄柵・南京錠及び施錠用鎖の損壊は、本件の建造物侵入に必然的に伴う行為、または、正門内広場への立ち入りを実現するために必要な行為であって、法的に両者の間には手段・結果の関係があるのみならず、本件の建造物侵入の順次共謀のなかに、これらの器物損壊についての共謀の点も、概括的に含まれていたと推認できる(事前に、これらの器物損壊を回避するため、はしご等を用いて鋼板塀・門扉を乗り越えるといったような手筈がとられていた形跡は全くない)ので、証拠上、器物損壊の実行行為者らが具体的に確定できず、かつ、損壊の手段・態様が不明であっても、被告人らにおいて共犯としての責任を免れることはできない。
なお、午前中の構内侵入時に、正門横の通用門の南京錠一個及び施錠用鎖二本が壊され、門扉を開けられる状態になったのに、外部から右正門内の広場に侵入した者がいなかった点については、そのころ、警察のパトカーが東村山本社近くにきたような状況になり、「警察!」と怒鳴っているような声があって、構内に滞留していた教育社労組員・支援者らが中庭などから侵入箇所の組合室方向へ戻り、構外に立ち去った、という事情がうかがえるので、右通用門の南京錠・施錠用の鎖の損壊を、建造物侵入と関連性のない、第三者らによる別個独自の犯行として扱うことはできない。
三 建造物損壊(判示第一の二の(二))
弁護人は、現場写真などをふまえ、「被告人Kは、背丈より二〇~三〇センチメートルの高さに縮めた振り出し式のアルミ製旗竿を右手にもったままの状態(地面に垂直の形)で立っていたが、製品倉庫のスレート製の側壁(以下「側壁」という)を突くなどしておらず、同被告人より前列二人目のヘルメットをかぶった男(以下「ヘルの男」という)が、両手で水平近くに構えた竹竿で側壁を突き破ったものである」旨主張し、同被告人も、「側壁に穴があいたことは現認していない。製品倉庫の付近に立ち止まっていたことはあると思う」旨供述している。
しかし、教育社の守衛で、当日本社事務棟の屋上から判示第一の二の(一)の建造物侵入等の状況を現認し、写真撮影中に本件を目撃したという三沢啓雄は、「支援の三名(白い上着でマスクをかけた人―以下『白上着の男』という―、赤ヘルをかぶった人、毛糸帽をかぶった被告人K)が、三名でやっていた。方法としては、竹竿を突き出すようにして壊していた」、「毛糸帽の人が、竹竿で一回突いて、穴があいた」、「(そのあと)赤ヘルの人が竹竿を両手で水平に二、三回突き、白い上着の人が、手で、ひびの割れている状態を落とした」旨証言している。そして、同人が撮影した現場写真の拡大写真によると、「被告人Kが、旗竿様のものを地面に垂直の形で右手に持ち、問題の側壁のそばにいた白上着の男と隣り合わせに並び、同被告人から前列二人目にヘルメットかぶった男―以下『ヘルの男』という―が、両手に持った竹竿の先を斜め下方に構え、側壁方向へ左半身の態勢をとっている場面」、「白上着の男が、側壁東側の北端にあいた穴の正面に佇立し、被告人Kが、同人の左隣にいて、旗竿様のものを前同様の形で右手に持ちながら、鉄柵方向に顔を向け、白上着の男の背後の、ひとり置いた前列で、ヘルの男が、両手の竹竿を、前の状態よりも、やや斜めに立てながら、側壁方向へ左半身の態勢をとっている場面」、「白上着の男が、側壁の穴のふちに右手をかけ、同人と背中合わせに、ヘルの男が、両手の竹竿を斜めにして、側壁と反対方向に向かって立ち、両者と隣接する奥の位置で、被告人Kが、旗竿様のものを前同様の形で右手に持ちながら、鉄柵方向を向いて立っている場面」、「白上着の男及び被告人Kが、そろって、側壁の穴の方向に顔を向け、ヘルの男が、側壁に背を向け、右手に竹竿を持って佇立している場面」を認めることができる。
これらの関係証拠を総合すれば、「被告人Kが竹竿で側壁を一回突いて穴をあけた」旨の実行共同正犯を肯認することには問題が残るけれども、同被告人に対する、右の現場における白上着の男及びヘルの男との共謀に基づく建造物損壊の共犯としての責任は、明らかであるといえる。
なお、午前中における建造物侵入の直前ころ、組合室付近にいた教育社労組員・支援者らに向け、教育社の某警備員が投石に及ぶという騒ぎがあり、前記製品倉庫の一部が警備員らの寝泊まりに利用されていた形跡もあって、右製品倉庫と波型万能鋼板の塀をはさんで隣り合わせの組合室の屋根に上がっていた教育社労組員・支援者らのなかにも、穴のあいた側壁方向に顔を向けていた者がおり、右側壁の損壊が、ヘルの男による、独自の偶発的な単独犯ではないかとの、合理的な疑いを容れる余地はない。
ただし、訴因では、「製品倉庫のスレート製側壁三か所」が損壊されたとなっているが、同倉庫東側壁の二カ所の亀裂(人型・Y型。)部分は、会社側関係者の証言によっても、後日(翌四月中旬ころ)いろいろ調査して気付いたというものであって、この部分をも、三月三一日の当日に損壊されたものと認定することはできない。
四 午後における建造物侵入等(判示等一の二の(三))の関与者
(一) 弁護人は、被告人Cが、会社構内に侵入した事実はない旨主張し、同被告人も、「同日午後の抗議行動の際には、ガードマンの動きを監視するような形で、正門前の路上付近にいたことはあるけれども、構内には入っていない」旨供述している。
しかし、会社側関係者は、同日午後における抗議行動の際に、同被告人が会社構内に入っていた場面を目撃しており、現場写真によっても、門扉が開かれた以後の段階で、同被告人が、単に正門前の路上に佇立していただけではなく、正門内の広場にも立ち入っていた状況が認められるので、当時、教育社労組の執行委員であった同被告人が、他の被告人らのように、デモ行進や集会に参加していなかったとしても、他の人々の構内におけるデモや集会を見守りつつ、ガードマンの動きを監視するような形で、正門の内外付近の出入りをした同被告人に、共犯としての責任があることは肯認することができる。
(二) 検察官は、右建造物侵入者らのなかに、被告人F、同Hもいたとし、かりにいなかったとしても、両被告人には事前ないし現場における共謀に基づく共同正犯としての責任がある旨主張する。
しかし、数多くの現場写真中に、両被告人が構内に侵入していたことをうかがわせるものは全くなく、僅かに、被告人Hとおぼしき人物が、門扉の開かれた後の正門前路上にいる場面があるにすぎないことは、検察官も自認している。
そして、「被告人Fが、デモ行進の中程にいて、その後ろに被告人Bがいた」旨の会社側関係者の証言は、デモ行進中の被告人Bらの現場写真中に同Fらしき人物がいないことと矛盾するほか、「被告人Fを、午後見かけたような記憶はない」旨の他の会社側関係者らの証言もあって、不確かなものである。
なお、「午後三時の執行委員会には、Fさんもいたと思う」旨の教育社労組側関係者の証言は、同委員会における被告人Fの具体的な発言内容やその後の行動をふまえてのものではなく、漠然とした感触の域にとどまるもので、「同日午後二時三〇分ころ、Fさんが、調布市職労の春闘集会に呼ばれているから行く、というので、車の鍵を貸した」旨の被告人Dの供述及び、現に、午後の抗議行動の際、東村山本社付近で被告人Fを見かけた者がいないことなどをも併せ、同被告人に共謀共同正犯としての責任を認めることも困難である。
また、被告人Hに関しては、会社側関係者自ら、「被告人Hが、守衛室前付近の労組員ら一〇名余りのなかにいた」旨の当初の証言を撤回し、「同被告人が入構していたか、はっきり記憶していない」旨証言を変えている。同被告人は、当時、組合員ではあったが、執行委員をしていたものではなく、午後の執行委員会における「構内抗議行動等」の決定も、全組合員・支援者らに徹底して指示されたという証拠はなく、訴追の対象は、午前・午後とも、現実に建造物の侵入を行った者らに絞られていることがうかがえる(当時、教育社労組の役員をしていた被告人らでも、午前中、構外にいたものらは起訴されていない)点はともかくとして、午前中の犯行に加担した者であっても、午後の事件の関係では起訴されていない被告人らもいるのであるから、午前中には会社構内に立ち入っている被告人Hが、午後の事件の際にも正門前付近の路上にいたからといって、他に具体的な共謀の状況証拠もないのに、事前ないし現場における共謀に基づく共同正犯の責任を肯定することはできない。
(三) よって、被告人F、同Hに関しては、昭和五一年七月五日付け起訴状記載の公訴事実第四の一及び二について、犯罪の証明がないことになるので、刑事訴訟法三三六条により、主文4項のとおり、無罪の言渡をする。
五 労働組合法一条二項・刑法三五条による会社構内立ち入り行為等の正当性
弁護人は、種々の判例を引用しつつ、「本件当日における被告人らの構内集会の目的は、団交の実現・確認書遵守を会社側に要求することにあり、その立ち入りの態様も、波型万能鋼板の塀の一部を除去して、平常業務休止中の会社構内へ立ち入ったにすぎず、建物内部にまでは入らなかったし、当時、労組側のストライキ解除以後も、会社側は違法なロックアウトを継続していたものであるから、被告人らの会社構内への立ち入り行為は、正当な団体行動権の行使として、刑事免責を受けるべきものである」旨主張する。
ロックアウトの正当性については、所論の引用する「丸島水門製作所事件」の判例(最三判昭和五〇年四月二五日・民集二九巻四号四八一頁)が、「個々の具体的な労働争議における労使間の交渉態度、経過、組合側の争議行為の態様、それによって使用者側の受ける打撃の程度等に関する具体的諸事情に照らし、衡平の見地から見て労働者側の争議行為に対する対抗防衛手段として相当と認められるかどうかによってこれを決す(る)」旨の判断を示し、所論指摘の、会社側のロックアウトにつき、東京地方裁判所八王子支部が、教育社労組員らからの会社を債務者とする賃金仮払い等の仮処分申請事件の決定(昭和五一年八月六日付け)において、「債務者は、組合がストライキを解除した昭和五一年一月一二日以降も、同年五月一二日まで、組合の争議行為の対抗防衛手段としての相当な範囲を越えて、違法なロックアウトを継続した」旨認定していることは、関係証拠により明らかである。
しかし、被告人らの構内集会の目的そのものは、判示のような労使間の交渉経緯、とくに、第六回団交以後における状況の変転に徴し、教育社労組員・支援者らの立場からすれば、緊急・必要に迫られてのものであった、ということはできるけれども、立ち入りの態様に関し、予め、「会社施設の破損を必要・最小限度にとどめる配慮をした」との点は、現実の行動面から汲みとることができず、かりに会社側が違法なロックアウトを続け、本件当日も、終始、固く門戸を閉ざし、具体的な対応を示さなかったからといっても、判示第一の二の(一)・(三)のような、「数人共同しての器物損壊」を伴った被告人らの本件会社構内への立ち入り行為等は、いずれも、手段・態様の点において、会社の物的施設及び会社構内の平穏を侵害する「暴力の行使」に該当するものであって、労働組合法一条二項にいう正当な団体行動権の範囲を逸脱しており、前述のような、労使紛争の経緯、当日における会社側の対応、被告人らの会社構内への立ち入りの動機・目的及び会社構内立ち入り後の状況など、諸般の事情を総合・考慮しても、被告人らの建造物侵入の行為等につき、違法性阻却事由を肯認することはできない。
第三行政学会印刷所事件について
一 本件公訴事実の要旨・暴行罪を認定した理由
本件公訴事実の要旨は、「被告人Jは、昭和五一年五月一九日午前九時三〇分ころ、行政学会印刷所正門前において、福島英吾(当五八年)に対し、手拳でその頭部を一回殴打し、更に扉と門柱の間に差し入れていた同人の右示指を、扉を引いて門柱との間にはさんで圧迫する暴行を加え、よって同人に対し加療約一週間を要する右示指挫創の傷害を負わせた」というものである。被告人Jは、これを全面的に否定するけれども、判示第二のような経緯で、同被告人が福島英吾(以下「福島守衛」という)の右こめかみ付近を左手拳で一回殴打した点は、前掲の各証拠によって肯認することができる。
二 福島守衛の負傷の経緯
福島守衛が、同日午前九時三〇分すぎころの、会社側職制らによる通用門からの組合員強制排除の直後、閉めた門扉の施錠にとりかかり、門柱に取り付けてあった蝶番式金具が外側に出ていたため、門扉を内側から押さえていた会社側職制らに「開けるぞ」と声をかけたのち、左示指を門扉の輪金具にかけ、右手に南京錠を持ちながら、一五ないし二〇センチメートルぐらい開いた門扉右側(公道に向かって)と門柱との間に右示指を差し入れ、蝶番式金具を内側に弾き入れようと数回試みている時点で、門扉が閉まり門柱との間に右示指をはさまれ、一週間程度の怪我をしたことも、関係各証拠により明らかである。
三 傷害罪を認定しなかった理由
しかし、右門扉の閉まった原因が、前記公訴事実のいうように、被告人Jの「扉を引いて門柱との間に(福島守衛の右示指を)はさんで圧迫する暴行」によるものなのか、とくに、その前提となる「(通用門の)扉と門柱のあいだに(福島守衛が右示指を)差し入れていた」状況を同被告人が認識していたのかについては、関係各証拠を仔細に検討しても、いまだ合理的な疑いが残り、本件公訴事実中、傷害の点については、犯罪の証明が不十分である。以下、その理由を説明する。
(一) 本件当時における通用門の形状
右門扉は、片開き式で、地上約一六五センチメートルの位置に、縦(下方)一五二・五センチメートル、横九〇センチメートルの鉄柵枠(棧は縦に四本)状に設置されており、その中央部に「部外者立入禁止」と書かれたベニヤ板(縦九一・五センチメートル、横約八〇センチメートル)が貼ってあるため、通用門をはさんでの構外・構内の至近距離付近の見通しはわるく、問題の蝶番式金具・輪金具は、地上約九四センチメートル付近の箇所に取り付けてあった。
(二) 被告人J及び会社側職制らの位置・動き
同被告人が通用門の外側に接着する体勢でひとり立っていたことは争いなく、通用門の内側では川俣庶務課長が向かって右方上部の鉄棧二本を両手で掴み、永森鋳造課長がその左側の鉄棧をもって、外側にいた同被告人と真正面に向かい合う形となり、「(同被告人は)ベニヤ板の上辺を両手で握っていた」とされており、右会社側両職制の近辺に他の職制ら四、五人がいたことなどの騒然とした周辺事情をも総合すると、門扉が一五ないし二〇センチメートルぐらい開いた点を考慮にいれても、同被告人が、構内からの、川俣庶務課長の右脇(門扉右端付近)にいた福島守衛の、瞬間的な右示指の動きを現認していたものと推認することは困難である。現に、右示指をはさまれた福島守衛が「痛い」と叫んだ直後に、「(被告人Jが)ちょっと後方に身を引き、力を抜いたか、扉から手を放した」ので、川俣庶務課長がひとり門扉を開けた旨の会社側関係者らの証言があり、このことは、公訴事実記載のような形態の同被告人の暴行の故意の存在に疑義を抱かせる重要な状況事実といえる。
(三) 門扉の閉まった原因
会社側関係者らの証言では、「急に門扉が外(側)からグッと強く引かれた」、「Jさんが急に両手で門を引っ張った」とされているが、いずれも、同被告人が、福島守衛の動きに対応して、門扉を外側へ強く引っ張る動作に及んだことを現実に目撃したものではなく、会社側職制ら二、三人で門扉の鉄棧に手をかけて一五ないし二〇センチメートルぐらい開いたままの状態を保持していたというのに、前述のように、力点の弱い位置のベニヤ板の上辺を両手で握っていたにすぎない同被告人に、門扉を外側に引き寄せるほどの力が出せるものかの問題があるほか、会社側職制らの証言中には、同被告人が門扉を内側へ押したり外側に引いたりしていたかのような供述部分もあり、被告人Jと会社側職制らとの門扉に対する有形力行使のバランスが、偶発的に崩れて、閉門という、双方にとって予想外の事態を招いた疑いを否定することはできない。
なお、右の点は、捜査担当の検察官自らが、同被告人に関する「勾留請求却下の裁判に対する準抗告の申立書」中の理由において、「被害時点の直前において、被疑者が外から扉を押し、会社側の者が内側から扉を開けさせまいとして扉を押していた状況があるが、被害時点においてもそのような状況であったとすれば、被疑者が、積極的に扉を引いたのではなく、手を放しただけで、会社側の者の押す力で扉が閉まったということもあり得る」(会社側関係者は、外から内側に押していたのを逆に引くとは思っていなかった旨供述している)ことを、捜査上の問題点のひとつとして、指摘していたものである。
第四公訴権濫用による公訴棄却の主張などについて
被告人・弁護人らは、本件各公訴の提起に至る詳細な事実経過をふまえ、本件は、検察官が、いずれも、客観的嫌疑がないのに、教育社労組やぎょう印労組の労働運動に打撃を与えようとする政治的・不当な意図に基づき、労使関係の一方当事者たる労働者側を差別的に取り扱い、不利益を与えたうえ、平等原則に反して起訴したものであって、公訴権濫用にあたるから、本件各公訴は棄却されるべきである旨主張する。
本件の錯綜する相当量の関係各証拠、これらを取捨選択・総合しての認定事実及びその法的評価からみて、本件にいくつかの間題があったことは、判示各事実及び主な争点に対する判断の項の示すとおりであるけれども、公訴提起前の段階において、三・三一(東村山本社)事件に関する被疑者ら八名の勾留請求却下の裁判に対する準抗告審の決定(昭和五一年五月一四日付け)、同三・二七(三鷹労政事務所)事件に関する被疑者ら八名の同旨準抗告審の決定(同年六月七日付け)及び同行政学会印刷所事件に関する被疑者一名の同旨準抗告審の決定(同年六月一〇日付け)が、いずれも、勾留の理由・必要性は否定してそれぞれ原裁判を是認しつつ、「被疑者らが本件各被疑事実の罪を犯したことを疑うに足りる相当の理由」の存在は認めていたことが関係記録によりうかがえるほか、公判審理の進行に伴う証拠調の内容に徴しても、本件各公訴の提起が犯罪の客観的嫌疑がないのになされたというものでないことは明らかである。
そして、弁護人ら引用の高裁判決に対し、上告審(最一小決昭和五五年一二月七日・刑集三四巻七号六七二頁)は、「検察官の裁量権の逸脱が公訴の提起を無効ならしめる場合とは、公訴の提起自体が職務犯罪を構成するといったような、極限的な場合に限られる」旨の判断を示し、「審判の対象とされていない他の被疑事件についての公訴権の発動の当否を軽々に論定することは許されない」として、公訴を棄却すべきものとした原審の判断を失当としており、右判例の趣旨に則して本件を考察すれば、判示各認定事実及びその経緯に徴してみても、本件各公訴の提起が公訴権の濫用にあたるということはできない。
なお、被告人Gは、本件公判審理が起訴後一〇年有余に及んだ点につき、憲法の保障する迅速な裁判を受ける権利が侵害された旨主張するけれども、「具体的刑事事件における審理の遅延が憲法の保障条項に反する事態に至っているか否かは、遅延の期間のみによって一律に判断されるべきものではなく、遅延の原因と理由などを勘案して、その遅延がやむを得ないものと認められないかどうか、これにより右の保障条項がまもろうとしている諸利益がどの程度実際に害せられているかなど、諸般の状況を総合的に判断して決せられなければならない」(最大判昭和四七年一二月二〇日・刑集二六巻一〇号六三一頁)とされており、九一回にわたる本件の公判審理の経過に鑑みれば、いまだ、「審理の著しい遅延の結果、迅速な裁判を受ける被告人の権利が害せられたと認められる異常な事態が生じた」(前同判例)ものとは認められないので、本件につき免訴等の措置を検討する余地はない。
(法令の適用)
被告人A、同B、同C、同D、同E、同F、同G、同J、同K、同L及び同Mの判示第一の一の各所為は、包括して刑法六〇条・暴力行為等処罰ニ関スル法律一条(刑法二〇八条・二二二条一項)・罰金等臨時措置法三条一項二号に、被告人B、同C、同D、同F、同G、同H、同I、同J及び同Kの判示第一の二の(一)の各所為及び被告人A、同B、同C、同D、同E、同G、同I及び同Lの判示第一の二の(三)の各所為中、各建造物侵入の点は、いずれも刑法六〇条・一三〇条前段・罰金等臨時措置法三条一項一号に、各共同器物損壊の点は、いずれも刑法六〇条・暴力行為等処罰ニ関スル法律一条(刑法二六一条)・罰金等臨時措置法三条一項二号に、被告人Kの判示第一の二の(二)の所為は、刑法六〇条・二六〇条前段に、被告人Jの判示第二の所為は、同法二〇八条・罰金等臨時措置法三条一項一号にそれぞれ該当するところ、判示第一の二の(一)及び同(三)の各建造物侵入と各共同器物損壊は、それぞれ順次手段結果の関係にあるので、刑法五四条一項後段、一〇条により一罪として、判示第一の二の(一)及び(三)につき、それぞれ犯情の重い共同器物損壊の罪の刑で処断し、被告人A、同B、同D、同Jの各罪及び同Kの判示第一の一・第一の二の(一)の各罪について、いずれも各所定刑中懲役刑を選択し、被告人C、同G、同E、同L、同F、同H、同I及び同Mの各罪について、いずれも各所定刑中罰金刑を選択し、被告人A、同B、同D、同J及び同Kの右各罪は、いずれも同法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文・一〇条により、被告人A、同B及び同Dに対しては、それぞれ犯情の最も重い判示第一の二の(三)の罪の刑に、被告人Jに対しては、刑及び犯情の最も重い判示第一の二の(一)の罪の刑に、被告人Kに対しては、最も重い判示第一の二の(二)の罪の刑に、それぞれ法定の加重をし、被告人C、同G、同E、同L、同F及び同Iの右各罪は、いずれも同法四五条前段の併合罪であるから、同法四八条二項により、それぞれ各罪所定の罰金額を合算し、それぞれ、その刑期または罰金額の範囲内で、被告人A及び同Jをそれぞれ懲役八月に、被告人B、同D及び同Kをそれぞれ懲役六月に、被告人C及び同Gをそれぞれ罰金七万円に、被告人E、同F、同I及び同Lをそれぞれ罰金五万円に、被告人H及び同Mをそれぞれ罰金三万円に各処し、被告人C、同G、同E、同F、同I、同L、同H及び同Mにおいて、その罰金を完納することができないときは、同法一八条により、金二〇〇〇円を一日に換算した期間、当該被告人を労役場に留置し、被告人A、同B、同D、同J及び同Kに対し、同法二五条一項を適用してこの裁判の確定の日から一年間、それぞれ、その刑の執行を猶予し、訴訟費用は、刑事訴訟法一八一条一項本文により、別紙(一)の訴訟費用負担明細表記載のとおり、被告人らに対しそれぞれ負担させる。
(量刑の事情)
本件は、いずれも、長期化した深刻な労働争議の過程で発生したものである。まず、三鷹労政事務所事件における、多数の者らの長時間に及ぶ執拗かつ激しい脅迫文言などは、会社側交渉委員らに払拭できない畏怖・疲労及び屈辱感を植えつけ、それまで根気よく積み重ねられた第一回ないし第五回団交の、平和交渉の実績を無に帰させ、さらに、これに引き続く東村山本社事件でも、二回にわたり、組織的・集団的に行われた器物損壊を伴う会社構内への侵入が、会社側の態度をより硬化させている。また、行政学会印刷所事件においても、規模・程度は異なるが、労使間のトラブルによる相互不信が介在している。そして、全体を通じての問題点は、いかに労働者の基本的権利を擁護・確立する目的があったとはいえ、会社側との交渉手段・態様面における実力対決の行き過ぎが顕著なことにあり、これらの事件に関与した被告人らの責任を軽視することはできず、とくに、三鷹労政事務所事件及び東村山本社事件につき、被告人A及び同Bが、教育社労組の三役として、執行委員会の決定等をふまえ、組合員・支援者らに大衆動員をかけたのであるから、事前ないし各現場において、組合員・支援者らの暴走行為が起きないよう、適切な指導・統制役を果たすべき立場にありながら、現場の異常な雰囲気などに同調し、後者の事件では、各自会社構内への侵入に関与した責任及び右両事件において、他の被告人らよりも積極的に行動をした被告人D、同J及び同Kの責任は、いずれも重いといわなければならない。
しかし、判示第一の教育社事件の背景には、新生労組側の活動に問題があったにせよ、都労委命令で明らかな不当労働行為と判定された、昭和四七年一月における、組合員ら一〇名に対する会社側の抜き打ち大量解雇という、重大な禍根があり、その後の四年有余にわたる労組側への対応の過程においても、被告人らを含む労組・支援者らのなかからも怪我人が出たことで象徴されるように、労使双方の、憎悪を交えた相互不信・実力による衝突が累積されていたほか、東村山本社事件の翌日には、会社側からの実力規制により、労組側の自動車二台が破壊され、怪我人まで出る、といったトラブルが生じていることも看過することができない。
そして、都労委命令以後でさえも、会社側の旧態然とした、具体性に欠ける事態収拾の態度が、労組側の不信・あせりを募らせ、本事件を誘発する要因になっていたことがうかがえる。
また、理由はともかく、本件の公判審理に一〇年有余の歳月を要したという客観的現実が、被告人らの社会生活及び家庭への、種々の不利益を余儀なくさせ、転職その他、生活の仕方を根本から変えざるを得なかった被告人らまで現れており、その家族らをも含めた、長期間の精神的・経済的負担の重さも、それ相当に斟酌されるべきである。
なお、東村山本社事件後で、本件公訴提起前の昭和五一年五月上旬に、会社側が発した就労命令を受け、現在もなお、教育社の職場で働いている被告人ら及び組合員ら(証人)が、当公判廷で、口々に、「隔離就労」「無意味な仕事内容」などといった労働事情の実態を訴えていること自体に、教育社労使の関係が冷戦状態のまま膠着化し、局面打開の手掛かりさえ掴めない現状をうかがわせており、このような時期における本判決が、深刻な労使紛争をさらに悪化させ、抜き差しならぬ泥沼に落ち込む一因になるようなことは、あってはならない。
以上、これらの諸事情を総合勘案し、被告人らに対し、それぞれ、主文掲記の懲役刑(執行猶予付)ないし罰金刑を科することにした。
よって、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 松本光雄 裁判官 土屋靖之 裁判官 田島清茂)
別紙(二)
<省略>